オリンピックの商業主義を打破しよう

 ここのところテレビはオリンピックばかりである。まるで世界は平穏無事で他には何もニュースがないかのようでさえある。羽生選手やその他の金メダルの選手などの演技は素晴らしい。人間としてあそこまでできるのか感心させられる。小平選手の友情も立派だ。共感する。

 ただ、同じ時間のニュースで同じ演技を二回も見せるのはちょっとやり過ぎだろう。ロシアの二人の若い選手の演技のような素晴らしい外国の選手の美技などももっと多く見せて欲しいものである。

 しかしそれはそうとして、どうして平昌のような寒いところでのスキーのジャンプを真夜中の誰も観客もいない所でやるのだろう。オリンピックの奇妙に歪んだ姿もかいま窺い知ることが出来た。

 世界のメディアから多額の金を貰うなどで商業主義に侵され、アメリカやヨーロッパの放送時間の都合などでこういうことになっているらしいが、本来競い合う選手が中心であるべきオリンピックからいえば、全く本末転倒である。折角参加している選手や観客に礼を失すること甚だしいと言わざるを得ない。

 同じようなことは既に2020年の東京オリンピックについても言える。高温多湿の極ともいわれる日本の7月末から8月にかけて運動競技をするなど正気の沙汰とは言えない。それを政府はIOCへの立候補ファイルでは「この時期の天候は晴れる日が多く且つ温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と言って立候補しているのである。

 是が非でも誘致したい気持ちはわかるが、誰が見てもあまりにも見え透いた嘘をよくもここまでつけたものだと感心させられる。実際にオリンピックの時にはどうするつもりなのだろうか心配になる。室内競技は冷房で何とか凌げても、マラソンや屋外競技などはどうする積もりなのだろう。およそ運動競技などする季節ではない。見物に行くだけでも暑くて大変な時期である。

 繰り返すが、オリンピックなどの競技は本来観客よりも選手の都合に合わせるべきものであろう。選手が最も良い条件で運動出来るように環境を整備して届けるのが主催者の義務である。それが今では金に物を言わせるメデイアや産業界の発言力が強苦なり、それに政府や本部が乗っかって、本来主体であるべき選手不在の商業主義がまかり通っている。

 そのため誘致一つについてもいま述べたような虚偽の陳述が通るし、裏工作などがまかり通り、2020の東京大会でも誘致合戦に賄賂が動き、シンガポールかどこかで収賄罪が摘発されたと報道されている。

 ここらで本来のオリンピック精神に戻って、選手中心の大会にして、規模を縮小し、国別対抗などをやめ、世界から選ばれた個人または団体の対抗スポーツの大会として再出発するのが良いのではないかと思うがどうであろう。

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