車内での飲食

 私の子供の頃は決まった場所以外で食事をするような習慣がなかった。田畑で働いたり、野山を散策したりするときにも、決まった時間に弁当を広げて食事を摂ることはあったが、仕事をしながらとか、歩きながら食事をすることは考えられなかったし、何かをしながら飴を舐めたり、チュウインガムを噛んだりするのも行儀の悪いこととされていた。したがって当時は飴などを頬ばっても他人に知られないように密かに味わっていたものであった。

 ところが戦後になって世の中が変わり、欧米文化が浸透して来るとともに日本人の食事の仕方も徐々に変わってきた。先ず驚かされたのは占領軍がきてどこへ行っても歩きながらチュウインガムを噛んでいる姿を見たことであった。行儀の悪いのは兵隊だからだろうという見方もあった。

 しかしやがて「ローマの休日」という映画が一世を風靡するようになると、王女役のオードリヘップバーンがローマの街で歩きながらソフトクリームを食べているシーンがあるではないか。アイスクリームなどはああして食べても良いものだということが、ある種の憧れのようにもなったのだった。

 そんなことがあって、お祭りの時などでなくても、アイスクリームなどを街角や歩きながら食べる人が増えてきた。その後は他の生活面でも欧米化が進むとともに食事の取り方も変わってきた。それでも食卓以外で、人前で断りもなく食事をするのはマナーに反するとする風習はかなり後まで残っていたような気がする。

 昔から長時間乗る汽車の旅などでは駅弁なども売っていたことだし、車中でお弁当を広げて食べるのは当然なこととして認められていたが、地下鉄や郊外電車のように比較的近距離を走り、人の乗り降りも頻繁で、座席も両側に長く、すぐ前にも人が立つような車内では飲食しないのが無言の決まりのようなものであった。飴やチョコレートなどを頬張る時でも人知れずこっそりするのが普通であった。

 ところがいつの頃からであろうか。最近は男女を問わず、若者が当たり前のように車内でおにぎりやパンを囓っている姿を見るようになった。立ったまま食べている人もいる。先日びっくりさせられたのは、座席に座って大勢の前で堂々とカップヌードルを、それも箸を使って食べている女性の存在であった。一昔前なら考えられない光景である。

 どうも自動販売機が発達し、簡単にペットボトルで飲料を飲めるようになって、車内でも水を飲む人が増えたのが先導したように思われる。車内でのペットボトルの利用が多くなると、次にはコンビニなどで簡単に買えるようになったパンやおにぎりで、車内で簡単に食事を済ませようという人が出てきても当然であろう。

 朝寝坊をして職場に行くのに、朝飯の時間がない時など、コンビニで何か買って食事を電車の中で済ませれれば、こんな効率的なことはない。通勤途上で食事を済ませることができるのである。それだけの時間寝坊できるというものであろう。

 朝飯抜きで出勤するより、電車の中ででも食事をした方が健康のためにも良いであろう。忙しい独り者にとっては効率の良い生活の工夫なのかもしれない。感心なのは、こうして車内で食事を済ませた人たちが食べたおにぎりやパンのラッピングや食べ残しなどを綺麗に後片付けして、どこかに仕舞い、食べカスやゴミなどを散らかす人が皆無なことである。そして、食べ終わったらまるで何もなかったかのように、今度はスマホを出して見たりしている人が多い。その日のニュースもそれでバッチリなのであろう。

 こんな風景は日本だけのことであろうか。アジアでもヨーロッパでも、はたまたアメリカででも電車の中で人前で食事をしている風景はあまり記憶にない。いつかロサンゼルスのサブウエイに乗った時に見たのは、車内の柱の上から下まで禁止事項のサインが一杯貼られていることだったが、禁煙などととも食事をしてはいけない、飲み物を飲んではいけないなどのサインも並んでいた。鉄道の維持経費を安くあげるために掃除人などがいないので、ゴミを出さないためにこうしたサインが必要なのだと言うことだった。

 私は不特定多数の公衆の面前で食事をするのには違和感を感じるが、国が違えば文化も違うし、時代が移れば人々の考え方や行動も異なってくるし、それに対する規制の仕方も変わってくるものであろう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロスアンゼルスのサブウエイでは禁止

掃除人いない 清潔保つには禁止しかない

皆ゴミをほかす

街を歩きながらガムを噛んだりアイスクリームを食べたりするのは欧米文化