背の高さ

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 私は身長160cmぐらいで、子供の頃からずっと小さい方ではあったが、同じぐらいの仲間も多く、全体の中で平均的なばらつきの範囲内には収まる程度であった。当時の大日本帝国の国民は背が低い者が多かったので、徴兵検査の合否の基準も152cm以上であった。

 戦後、進駐してきたアメリカ兵の大きさにびくりし、こんな大きな奴を相手にしてよく戦ったものだと変に感心したものだった。また1961年アメリカに行った時のファーストインプレッションは人だけでなく、車も冷蔵庫も、スイカや茄子まで、何から何まで日本より大きいことだったが、デパートでコートを買おうとしたら小さいサイズがないので子供売り場へ行けと言われたり、公衆便所へ行けば背伸びをしなければ用が足せない目にもあった。

  しかし、上のグラフでも判るように、戦後日本人の平均身長はどんどん伸び、大阪万博の頃まではまだ電車のドアに頭がつかえるような人を見ると「ほう、高いな」と言ってびっくりしたものだが、最近は日本人でも、むしろそんな人が当たり前と言えるぐらい、乗り降りする時にドアの所で頭を下げる人が多い。

 女性でも、日本で最初にミニスカートが流行った頃には、「六頭身の足の短い日本女性が何も短いスカートを穿いて大根足を出さなくても良いのに」と思ったものだが、最近では惚れ惚れとするような長い足を短いスカートから出している女性の姿を見ることが多い。オリンピックのフィギャースケートを見ても日本人の選手の背が高くなり、足が長くなったことにに驚かされる。

 昔は混んだ電車の車内でも周りが女性であれば、私でも女性の頭越しに向かうが見えることが多かったが、最近ではそういうわけにはいかない。それどころか、周りを若い男性に囲まれてしまうとまるで四方を高い壁に囲まれたようで、全く視界が開けない。混み合っていたりすると窒息しそうな感じさえする。

 今更どうにもならないが、やはり背が高いのは羨ましい。スマートで格好が良いだけではなく、視界が違う。おそらく見晴らしが大分違うのではなかろうか。大勢が集まっていて、中で何が行なわれているか確かめたいような時にも、背が高いとすぐに覗いて確かめられるが、背が低い者は人垣の後ろを歩き回って隙間を探して覗き込んだり、割り込んだりしなければ判らない。

 それでも「ざまあみろ」と言いたくなるような、背が高い方が不便なこともある。電車の乗り降りにいちいち頭を下げねばならないこともそうだが、一頃の市バスなどで車の前の方は床が高いためか天井までが低い車両が多買ったので、背の高い人は天井に頭をぶつけないように、首を曲げて乗っていなければならないような光景に出くわしたことがあった。

 また、天井の低い マンションに住んでいた背の高い友人が、梁が出張っていて廊下を通るごとに頭を下げねばならないと嘆いていたこともあった。背の高い女性が恋人に合わせるために「私はハイヒールは履けないのよ」と言っているのを聞いたこともあった。

 そうはいっても背の高い人が多くなると、社会ではそれらの人たちが標準になるので、建物や通路はもちろん、電車やバスだって天井が高くなっていくのではなかろうか。世の成り行きはそちらの方に向かっているようである。

 次第に背の低い人が少数派になって不便になることが多くなるのではなかろうか。例えば、背の高い人に合わせて階段のステップの高さが変えられるようなことがあるとすれば、ユニバーサルデザインでも主張して、背の低い人にも不便にならないようにと働きかけねばなければならない日が来るかも知れない。