国はいつでも国民を守ってくれるか

 最近の朝日新聞に戦争孤児のことが載っていた。もう今の若い人にはわからないだろうが、敗戦後何年間かは東京でも大阪でも周囲が焼け野が原だった大きな駅の近くには闇市が出来、闇屋や買い物客に混じって、浮浪者や傷痍軍人、娼婦が欠かせない存在であった。

 殆どの国民が飢え、その日暮らしであったが、戦争によって傷付き、不具になった人や、家族を失った人、親を失った子供たちさえも誰も助けてくれないので、人の集まるところに群がって、人に物をせびったり、盗みを働いてでも、なんとか生きる道を探すよりなかった。

 敗戦後の国にはこれらの人々を助ける余力もなく、多くのこうした人々は自力では生きられず、多くに人たちは次々に亡くなっていった。周囲の人たちも自分が生きることに精一杯の時には、周りの人たちを助ける余裕もないので、こういった弱者はむしろ忌み嫌われ、排斥さえされていったことも忘れられない。

 上野駅の地下道などに屯していた浮浪児たちを当時の言葉で「狩り込み」といって一斉に捉え、トラックの荷台に乗せて、そのまま夜の山奥に捨てたといったことまであった。

 これらの人々は決して怠惰であったわけではなく、殆どの人は普通の善良な国民であった。それどころか国のために戦って傷ついた人であったり、戦災で家を焼かれ家財を全て失った人たちであるとか、夫の戦死で戦争中は「誉の家」として表彰されていたのが敗戦で打ち捨てられた人、あるいは学童疎開している間に都市の空襲で親も家族も亡くしてしまって孤児になってしまった子供達などであったのである。

 当時の世論では皆が戦争の犠牲になったのだから仕方がないとする声も強かったが、戦争による被害の性質や程度は人それぞれであった。戦争中は「一億一心」だの「忠君愛国」と言い、「挙国一致」が叫ばれたが、国が敗れれば全てがおじゃん。世の中の秩序も失われ、誰も助けてはくれなかった。

 政府や為政者たちは敗戦の交渉時にも、戦後においても天皇制を守ること、天皇の責任を回避することには最大限の努力はしても、自分たちの生き残りに汲々として、国民の窮乏を救う努力は二の次で、殆ど放棄されていたと言っても良い。占領軍に媚び、かろうじて治安を維持していくのに精一杯であった。

 どこからの助けもない一般の人たちは、敗戦後の混乱した無政府状態では、人々は勝手に生きるよりなかった。強い者は生きれても、弱い者は生きられない惨めな世の中であった。そういう時代には、モラルは低下し、弱肉強食となり、占領軍に媚を売ったり、隠匿物資を着服したり、裏社会で権力者と結びついて、大衆の犠牲の上に生き延びた一部の人たちもいた。

 戦争に負け、外国軍隊に占領され、社会が崩壊したこういう時代の社会が如何に惨めで、政府も国民を救ってくれず、如何に多くの人が飢えや窮乏のために亡くなっていったことか。亡くならなくてもこの戦争や敗戦によってすっかり運命を変えられてしまった人たちの多かった事実も忘れてはならない。