こどもの名前



f:id:drfridge:20170715094624j:plain

 SNSの何処かに載っていたのだが、この表の名前が最近の子供の名前に多いものだそうである。名前は当然時代によって、その時の文化に左右されて変わるものであるから、親の好みでどんな名前をつけようが法律で許されている範囲ならよいし、他人がそれにどうこういうことはないかも知れない。

 しかし、上の流行りの名前を正しく読めますか。一番の「心桜」など「桜のように皆から愛される優しい子に」といった意味をこめて名づけるのだそうだが、読み方は色々あって、「こころ」「こはる」「ここあ」「ここな」「ここみ」「さくら」「しお」「しおり」「しおん」「みくら」「みさ」「みさき」「みゆ」「みら」「りお」「みお」「こさき」などがあるそうである。

 他の上位に入っている名前もほとんどが色々な読み方があるようである。親は色々な願いを込めて、その時の流行にも遅れないように最善を尽くして名前を決めるのであろうが、名前は家族だけでなく、広く社会で使われるものであり、しかも子供はその名前を一生背負っていかなければならないものである。

 「心桜」のように沢山の違った読み方がある名前はまずは、幼稚園や学校の先生泣かせである。こうも色々な読み方があれば、それぞれの子について漢字とかなの結びつきを覚えるのが大変であろう。

 幼稚園ぐらいならまだ皆いつも仮名読みだけでも行けるであろうが、大人になって姓名を漢字で書くようになると、中々正しく読んでもらえなくなるのではなかろうか。今でも上田と書いて「カミタ」と呼ぶ人が「ウエダ」さんと呼ばれても返事をしないようなことがあるが、「心桜」さんとなると、自分の名前は「コハル」であっても、どんな呼ばれ方をされるか知れない。「ミユ」さんだとか、「リオ」さんだとか呼ばれても、自分のことか、誰のことかわからないのではなかろうか。

 そんなにややこしいのならいっそのこと、正式の名前は全て発音通りのかな文字にして、漢字はそれぞれ好きなように通称名としてはどうかと思うがどうだろうか。それで不都合なことがあるだろうか。

 読み方だけでなく、名前は子供の生まれた時の時代を反映しているので、時代が変化するにつれて、多かれ少なかれその時代の流行とは乖離していくものである。女性の「子」のついた名前は一時代前の明治、大正の頃には庶民の憧れであったために増えていき、名前だけで性別がわかることも多かったが、もう今では消えかかってきている。男の名前でも戦争中に生まれた子の名前には「靖」のついたものが多かったが、時代が変われば肩身の狭い思いをさせられた人もいる。

 現代の命名の流れも時代とともに変わっていくであろうが、おそらく近い将来、今はやりの名前の人が増えていけば、必然的に社会的な対応がなされ、適当なところに落ち着くことになるのであろう。子供の名前は付けた親の夢と子供の生きていく時空との間のギャップに翻弄されることになるのはいつの時代であっても避けえないものであろうか。