沖縄の慰霊の日

 昨日、6月23日は沖縄戦で最後の組織的な戦闘が終わり、沖縄が完全に占領された日である。沖縄県民の4分の1にあたる12万人の人が殺された無残な戦争であり、当時の日本の司令官が「将来沖縄の人たちには特別な配慮を願う」といって自決したことをまだはっきりと覚えている。

 普通に人々が暮らしている町や村での地上戦がいかに過酷で残酷なものであるかは想像に難くないが、軍隊というものが決して住民を守ってくれるものではなく、初めから終わりまで軍のためには住民をも犠牲にするものだということをこの沖縄戦が現実に見せてくれたことも忘れられない。

 沖縄の人々の苦しみは幸い生き残っても終わらなかった。その後も、占領された住民は米軍の基地を作るために銃剣で追い立てられ、講和条約が結ばれた後も米軍による統治が27年間も続き、ようやくの本土復帰を果たしてからも米軍の基地はそのまま続き、日本の米軍基地の大半を沖縄が背負い続けることとなり、そのため米軍による事件も絶えず、住民は広大な基地の間に押し込められ、騒音その他の日常生活が絶えず脅かされる状態が72年経った今も続いているのである。

 沖縄は古くは日本にも中国にも貢ぎ、遠くはマラッカなどまでも貿易をして栄えて来た国であったが、17世紀に薩摩に侵攻に破れて薩摩支配下に置かれ、明治になって沖縄県として日本に組み込まれたところで、以来無理やり方言まで禁止されて邦化政策が取られてきた歴史も忘れてはならない。

 日本という国はこの列島の辺縁の島島をいつも本土の捨石に使って来たのであり、沖縄の人たちの立場から考えれば、本土のために常に犠牲を払わされながら、本土はほとんどそれに答えてこなかったことがわかる。

 未だに基地の押し付け、米軍優先で沖縄の住民の切実な声に答えようとしない政府の方策が沖縄の人たちの心をどこまで押しやっているか容易に想像がつく。政府の方針に乗っかって沖縄の基地反対闘争などを左翼だとかその他のヘイト発言をする人たちもいるが、沖縄の実態を知り、本土の人に沖縄の人たちが基地の負担やそれに伴う生活の困難さどれだけ本土の身代わりになっているのかを知って欲しいものである。

 自分のうちの近くに米軍の基地があって、毎日毎日朝から晩まで飛行機の騒音に悩まされ、米軍の軍用車が優先的に公道を走り、何か事故が起こっても手も出せない状態が続いていたらどう思うかなども想像して欲しいものである。

 この慰霊の日がくるごとに、あの沖縄戦を思い出し、そこで無念の最後を遂げられた人々のことを思いその霊の安らかなことを願うとともに、現在の沖縄の人々の苦しみにも共感し、1日も早い問題の解決を願わざるを得ない。