慰安婦問題

 もう2−3年も前になるのであろうか。慰安婦問題などを巡って日本と韓国の軋轢が強

まり、日米韓の同盟関係にも影響することを案じたアメリカが仲介して、日韓が話し合いを持ち、最終的にと言うことで日本が慰安婦問題に遺憾の意を表し、救済の金を支払って両政府が合意し和解したが、その後も韓国ではその時善処するとしたソウルや釜山の日本大使館総領事館前の慰安婦像の撤去は進まず、韓国国内では再交渉の声が強く、大統領も代わって、ますます一般民衆からの再交渉への要望が強まっている様である。

 それに対して日本政府は最終的に合意したものであり、その実行を求めるだけで再交渉には応じられないと言う態度を堅持している。日本側からすれば交渉で最終的に決めたものだから変更はあり得ないと言うのは当然であろう。しかしこういう大衆の心情の絡む問題は政府間の交渉で全てが解決するほど簡単なものではない。

 韓国政府の立場はともかく、韓国の人々の心情からすれば昔の植民地支配などに結びつく問題だけに、政府の取り決めがどうあろうとそれで全て終わりというわけには行かないということも理解すべきであろう。

 過去の植民地支配が事実であり、その結果としての戦時中の慰安婦や強制労働の問題は細かいことは別にしても、大筋では支配者の加えた横暴が事実である以上、単なる政府間の交渉で終わるものではなく、長期にわたって対応して行かねば解決できない問題である。

 何事も、イソップの少年が池の蛙に石を投げた寓話でもわかる様に、加害者はすぐに忘れても、被害者はいつまでも忘れることが出来ないものである。日本人が原爆や都市の無差別爆撃のことをいつまでも忘れてはいけないと考えていることを思えば、韓国の人が植民地時代に屈辱的な思いをいつまでも忘れらてはならないと考えていることも理解できよう。 朝日俳壇にも ”忘れめや生きてる限り原爆忌” という句が載っていた。

 当然韓国の人は慰安婦のことを生きている限り忘れないと考えているであろう。そういうことを心に刻んで置くべきである。外交交渉は外交交渉で済ませば良いであろうが、韓国の人たちと友好関係を結んで行こうとするならば、慰安婦問題はこれで終わりではなく、原爆問題と同じ様に、長く負の歴史を背負って、長く関わって行かねばならないものと考えるべきであろう。

 慰安婦像はソウルや釜山のものを撤去してもアメリカやヨーロッパで今なお新たに建てられ、今や、日本軍に対する非難を超えて、戦時の女性に対する残虐行為一般を非難する象徴になってしまっていることも考えに入れておかなければならない。

 また、5月13日の朝日新聞夕刊によれば、国連の拷問禁止委員会が犠牲者の救済について、日韓合意を歓迎しつつも合意は元慰安婦に対して、名誉回復や再発防止策を含む救済措置や賠償の提供を「し損なっている」と懸念を表明し、韓国は「韓日合意を見直すべきだ」と韓国に勧告したそうなので、日韓合意についての再交渉も必要になるかも知れない。

 この問題は原爆問題と同様に、後々までも忘れてはならない問題であるという認識をすべきであろう。