ヌーハラ

 「ヌーハラ」という言葉を知っていますか?何のことかと思うと、「ヌードルハラスメント」の略だそうで、麺類を食べるときに啜る音を出すのを非難することだそうである。

 これは、日本でもスパゲッティが良く食べられるようになってから、スパゲッティをうどんのようにツルツル啜り込んで食べるのは行儀が悪い。フォークに巻きつけて音を立てずに食べるのがマナーだなどと言われだしたことに関係が深いような気がする。

 それでもイタリア人のようにフォークにうまく巻きつけて食べられない人も多いのか、アメリカでスパゲッティにフォークの他にスプーンがついて出てくるのに驚いたことがあったが、最近は日本でもスパゲッティにはスプーンもついてくるのが定番になっている。

 フォークでスパゲッティを掬ってスプーンの上で丸めて音を立てずに口の中に放り込むのがマナーということになっているようである。西欧では食事をする時に啜ったりしゃぶったりする音を出すのは礼儀に反すると言われるようで、これはこれで悪くはない。

 しかし、最近は日本でもそれに従って、食事の時に音を出すのは全て良くないことだという風潮が見られるようになって、うどんやそば、ラーメンまで音を立てずに食べろという人たちが現れ、それに反発して「ヌードルハラスメント」略して「ヌーハラ」などという言葉も出てきたようである。

 果たして食事の時に音を出すのが良いか悪いか。どちらが上品か。東洋と西洋では食事の取り方が違っていることに根ざしているもので、どちらがよく、どちらが間違っているとか、どちらが野蛮でどちらが文化的だとかいうような問題ではないのではないか。

 年寄り夫婦が落ち着いた茶の間で、湯飲み茶碗に入った熱い日本茶を、ふうふう冷ましながら一口二口音を立てて啜り飲んで茶碗を置き、ふーと一息れてお互いに顔を合わせる光景など、昔懐かしい日本を代表するような微笑ましい光景ではなかろうか。この場合など、お茶を啜る微かな音もこの光景の重要な要素になっているのである。

 また屋台のうどん屋やラーメン屋でツルツル音を立てて豪快に麺をすすり、ごくごく汁も飲み干して慌てて出て行く男の姿も馴染み深い夜の場末の日本の光景として捨てられない。

 生理的なことで音を出すのは他人に対して失礼だというなら反論もある。西欧の人たちは人前でも平気で大きな音を出して鼻をかむし、クシャミをしたら周りの人が「Gesundheit !」(ご健康に!)と言って合いの手を入れたりもする。日本では人前ではできるだけ鼻をかんだり、くしゃみをするのを抑えるのが良いとされてきた。 

 もちろん、イタリアンレストランなどで皿に盛られたスパゲッティをなれないフォークで掬いながらペチャペチャ・ツルツル音を出して食べている姿も決して優雅とは言えない。

 どちらが良いというより文化の違いなのである。もっとも簡略化して言えば、もともと西欧のように肉食文化の国では形のあるものを掴んで口にするところから食生活が始まっているのに対し、米食など穀類が主体の国ではお椀などに入れたものから食事をするようになった歴史的に大きな文化の違いがあることに由来しているのではなかろうか。

 それが歴史の流れの中で西欧ではフォークやナイフを使うようになったが、基本の食器は皿であり、食品を取り上げて口に入れるのが基本であるから音を立てる必要がないし、皿に直接口をつける必然性もなかったことになる。お皿では液体はスプーンで掬って口に入れるよりない。

 それに対して草食人の方は食物が粒や粉を水でといたよなものでは必然的にお碗のようなものにでも入れざるを得ず、入れたものを口にすることになると、碗に口をつけて食物を吸い上げるようにするのが基本動作となるので、必然的に啜る動作が入り、音も出ることになる。

 そんな基本動作に付随して食事のマナーも出来上がったので、当然文化が違えばマナーも異なってくることになり、どちらが良いということではない。むしろ文化の交流する中で中途半端などっちつかずの不安定な動作をするとちぐはぐで、場合によっては他人の眉を潜ませるような動作になったり、見えたりすることになる。

 やはりラーメンやうどん、そばなど、お椀に入った麺類はレンゲに掬って少しずつ音も立てずに食べるものではなく、レンゲは熱くて食べられない時などに一部の麺を掬って冷やすために使うぐらいのものである。本来麺にレンゲなどはついていないものであった。

 全ての麺をレンゲに掬って音も立てずに食べていたのでは時間がかかって仕方がないではないか。それにそんな食べ方をしていたのでは美味しくもないのではなかろうか。

 何年か前、こんなこともあった。ある和食の食堂でコーケジアンの中年女性が私の前方の机に座って天丼を食べていた。箸の使い方も上手に食べていたが、後の方になると丼の中は汁に浸かった飯粒ばかりになってくるので箸では食べにくくなる。しかし丼に口をつけて掻き込むようなことは西欧風のマナーからは考えられない。一生懸命に箸で何とか食べようとしていたが、箸で掬えるのはせいぜい米粒二つ三つに過ぎない。

 見ていた私はよほどウエイトレスを呼んで、スプーンでも持って行ってあげたらと言おうとしたが、そのうちにその婦人は食べるのを諦めて出て行ってしまった。他所へ行けばその地の文化に従うべきものだと思った。

 また西洋レストランでスープを飲むのを見ると日本人か欧米人かがわかる。日本人は大抵スプーンに掬ったスープをスプーンの横から啜り飲むが、欧米人は口を開けてスプーンの端を口の中へ入れんばかりにしてスープを流し込むようにして飲むのが普通だからである。

 スパゲティはフォークにうまく巻きつけて呑み込むようにすれば良いだろうが、うどんやラーメンはツルツル啜り込んで食べるのが良いのではなかろうか。

 長い歴史を持った食べ物はその歴史とともに伝わってきた食べ方を基本とするのが良いのであろう。「郷に入れば郷に従え」というのも、その地の文化を尊重しそれに従うのが良いことを諭すものである。