挨拶を禁止したマンション

 あるマンションでの住民総会で、小学生の子を持つ親から提案があり、「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください」という提案があったそうである。「子供にはどの人がマンションの人かどうかわからないので、教育上困ります」ということだったそうである。

 子供の誘拐事件があったりしたので、母親は我が子の安全を心配して言い出したのであろうことはよくわかる。ところが、それを聞いて、年配の人から「挨拶をしても挨拶が返ってこないので気分が悪いことがある。お互いにマンションでは挨拶をするのをやめましょう」という発言があり、意見が一致して、そのマンションではお互いに挨拶するのをやめることにしたそうです。

 神戸新聞?の声欄に載っていたとかで、投稿者は「世の中も変わったな、理解に苦しんでいると」結んでいた。世間の孤立化がここまで進んでいるのか悩ましい限りである。

 現代社会の個人の孤立化の一環であろうが、今や産業構造の変化に伴って労働者の孤立化が進むとともに、社会的にも少子高齢化の時代が続き、若者だけでない社会全体の人々の単身化が進んで一人暮らしも多くなり、個人が孤立化し、その上社会生活の効率化が孤独な生活を可能にし、孤立したままの生活が容易になって、人は誰と接触しなくても日常生活が可能になってきたことがなど背景にあるのであろう。

 この国では村社会が崩壊するとともに、都会での地域社会が育たず、宗教的な繋がりも弱く、唯一村社会を引き継いできた会社社会までが近年になって変化し、崩壊することとなり、人々はどこにも根拠を持たない浮き草のごとくに漂流せざるを得なくなっているのが現状であろう。

 今や何処も家族の人数も減り、近隣との交渉の機会も減り、宗教的な繋がりもなく、隣の人が何する人かもわからぬままに暮らすのが当たり前となっており、そこに村社会の残差とでもいうべき内と外の区別が災いしてか、空虚になってしまった内に対しても外は除外ないし無視する習慣が続き、挨拶もしないことになる。

 こうして孤立化させられ、不景気で厳しい生活を強いられる中では、自分の身の周りのごく狭い範囲を守ることに精一杯で、なかなか外に働きかけて、新しい地域を育てようとか、地域とともに解決しようとする意欲が湧いて来るところまでは行かないようである。

 子供を守るには親の個人だけでは不十分なことは明らかであるが、現状で確かなのは母親しかいないので上記のような提案も出されるのであろうが、そのマンションの場合には、同調した年配者の方も同じ孤立化の問題に取り込まれているようである。せっかく、一つ屋根の中で共同して暮らしているのである。知らないから知らない振りをするより、知り合って交流する方向に努力することが正しい解決法だと思うが如何であろうか。

 同じマンションに住んでいても個々人によって、生活様式には時間的にも空間的にも大きな差があり、顔を合わすことも滅多にないような現状を十分認識することも不可欠で、その上に成立つ対策でなければならないことも忘れてはならない。

 それでもさしあたりできることとしては、挨拶しなのではなく、押し付けでなく、皆がお互いに挨拶するようにすることがマンションの住民の繋がりの出発点であり、子供の安全ばかりでなく、マンションの良好な維持管理、個々の住民の安全や幸福のためにも第一歩だと思うが如何であろうか。