昔のアヴェック、今のアヴェック

 アヴェックという言葉が流行りだしたのは 戦後まだ日の浅かった頃であった。その頃アヴェックといえば当然のことのように、まだ未婚の若い男女が一緒にいることを指す言葉であった。戦争が終わり自由と民主主義が謳歌されだした頃、それまで公衆の面前では大ぴらにし難かった男女の仲が公然とできるようになり、若い男女は喜び勇んでアヴェックで行動を共にするようになったのであった。

 当時は私もまだ若かったので、私自身もよくアベックであちこち行ったものだったが、どこへ行っても若い元気な男女がアヴェックがいるのが目に付いた。今でも覚えているのは、大阪なら中之島公園の川縁、京都なら鴨川の河原などでは、アヴェックの男女が一定の間隔を空けながら、どこまでも並んで腰を下ろしていた光景である。皆が貧しく、いろいろな問題を抱えながらも未来に明るい夢を描けた時代であった。

 ところが長い間には世の中も変わるものである。中之島もすっかり整備されてしまって、若いアベックが並んで座っているような姿はないし、最近は街を歩いても老人ばかりが目につき、昔のように生きの良い若い男女のアヴェックを幾組も見るような光景に遭遇する機会は殆どなくなった。

 こちらが歳をとって行動パターンが若い人達と違うせいもあるのかもしれないが、若者に出会う機会は多くても、大抵は単独か、男同士、女同士、或いは男女混成の集団で、男女二人だけのアヴェックを見かけることが少なくなったような気がしてならない。少子化が言われ独り者の男女が増えたことに関係しているのであろう。いないわけではないが、大勢の中に混じって時々見かけるといった感じでしかない。あの昔の若い男女の情熱はもう今の若い人にはないのだろうか。

 それに対して最近では老人のアヴェックがやたら多くなった。近くを散歩しても、電車に乗っても、街を歩いても、映画に行っても、美術館に行っても、どこでも出会うのは年寄りのアヴェックである。もちろん一人だけの爺さんや婆さんもいるが、それよりはるかに多いのが前期高齢者と言われる60代後半から75歳ぐらいまでの年寄り夫婦のアヴェックである。

 昔は老人夫婦が連れ立って散歩に行くなどあまり考えられなかったし、何か用があって一緒に行かねばならないような時にも、男が先に歩き、女は少し後から目立たぬように付いていくことが多かったからであろうか。年寄りが肩を並べて歩く姿などあまりお目にかからなかったので、最近の高齢者のアベックが一層目に付く。

 若いアベックと違って肩を並べていてもあまりいちゃいちゃすることもなく、あまり会話もなくお互いに黙々として、一緒に行動している例が多い。多くは男がイニシャティブを取っているようだが、女の方が全てを仕切っている組も少なくない。中には一方が体が弱いのか、他方が手を引いているような例も見られる。

 前期高齢者ぐらいの年代で夫婦揃って元気な頃が年寄りの黄金期とでも言えるのかも知れない。その頃になると子供もすでに独立して夫婦だけの世帯が多いが、定年を過ぎて仕事から離れ、社会との関係も薄くなっても、体はまだ元気で、自由な時間はたっぷりあるので、一緒に行動できる機会に恵まれている。老人夫婦だけの生活となれば、嫌でも夫婦がお互いに頼らざるを得ない事情も背景にあるのであろう。

 それでも、若い時とは違い、いつまでもアヴェックで一緒に動けるわけではない。いつかはどちらかが体調を壊したり、寝込んだり、あるいは急に不幸な転機を迎えたりすると忽ちアヴェックで一緒というわけにはいかなくなる。いつ介護の時代がやってくるかはわからないが、それまではせいぜい二人揃ってアベックで行動できる時間を大切にして共に楽しんで貰いたいものである。