アメリカと日本の日常の違い

 孫が大学を卒業するというので卒業式に出席し、お祝いをするために、十日ばかりロスアンゼルスへ行ってきた。

 歳をとるにつれて往復の長い空の旅と、年々厳しくなる出入国の検査で長い行列に並ばせられる苦痛が大きくなっては来るが、それでも久しぶりで家族に会えるし、外から少し眺めるだけにしても、若い頃の思い出が蘇る機会ともなり、日本とは違う世界の日常に触れられるので、やはり行くのは楽しい。

 もう半世紀も前のことになるが、初めてアメリカに着いた時、まずビックリさせられたのが何でも日本より大きいことと、日本では考えられない多様な人がいて、その人たちがそれぞれに自分なりの多様な暮らし方をしていることであった。今でも行く度にその時の思い出とともに感じることである。

 今でこそ日本人にも大きな人も増えたが、一般にアメリカ人は大きいし、道路や街の作りも大きい。車だけはアメリカでも小さくなったがそれでも日本のような小型車はあまり見ない。家も大きければ、家具や冷蔵庫などの機器もそうだし、ゴミ出しの容器まで大きい。スーパーの店も大きければ、カートも、商品の包装のパックも、飲み物の分量、食品の量なども、何でも単位の大きさが違う。おまけに何故か、スイカや茄子などの野菜まで大きい。

 もちろん、大きいことがすべて良いわけではない。広い道路や家ばかりで日本のように狭いこぢんまりとした横丁のような所がないと何故か心が落ち着かない。商品などについても、一般に細やかな心使いのようなものが少なく、すべてが大まかだとも言える。生活の有り様、文化が日本とは違うのである。

 それに住んでいる人が多様なことも日本とは決定的に違っている。最近は日本でも外国人が増えたが、日本人の中に外国人もいるというのと、住んでいるすべての人がいろいろな人で、それが日常的に入り混じって一緒に暮らしているのとは全く違う。

 アメリカでも、ことにカリフォルニアでは、世界中からの移民などもあって、人口の急激な増加もあり、人種の多様化が益々進み、今ではイスパニック系を除く白人が40%、メキシコ系を中心とするイスパニック系が同じくらいの40%位で、残り20%をアジア系が12〜3%、アフリカ系が6%ぐらいで分け合うという人口構成になっているようである。

 これだけ雑多な人々の組み合わせになると、何処へ行っても、何時でもWhere are you from?と聞きたくなるような色々な人々が混じって暮らしている感じで、日本などと違って、毎日の生活で出くわすひとりひとりが多様なので、人との付き合い方も自然にそれに合ったものになる。

 日本でなら、道で誰かにすれ違ったような時、知っている人ならお互いに挨拶するが、知らない人なら無視して通り過ぎる。ところがアメリカに限らないが、どこかで知らない人と出会って偶然目があっったらお互いに挨拶するか、にっこり微笑むのが普通である。

 これは「敵ではないぞ、仲間だよ」というサインで、お互いに多様な知らない人々が一緒に住むような所では、自然に身についた人間の本能のようなものであろう。日本でも登山に行くとか早朝の散歩などでは、知らない人に出会っても同じようにすることが多いのと同じ成り行きなのではなかろうか。

 そんな微笑みから会話が進むことも多く、今回も散歩の途中、たまたま出くわした人で、顔が似ているので日系の人かと思ったら台湾出身の人で、日本語で少し会話を交わすようなこともあった。

 大学の卒業式でも、多くの民族出身の卒業生がいるので、正式な卒業式の前にラテン系、アジア太平洋系、アフリカ系の卒業生だけのそれぞれのパーティがあり、家族にとっては繰り返して娘や息子の晴れ姿が見れるようになっていた。卒業式に来ている卒業生や大学のスタッフ、それに家族を見ても、民族も様々なら衣装も色々で、それこそ世界中の民族の祭典のような観さえある。

 街へ出ても、色々な国の店があり、看板だけ見ていても中国語、ハングル、タイ字、ロシヤ文字、インド字など色々あって面白い。スーパーでもレストランでも、色々な国の出身の人がいるので、それに合わせて日本では見られないぐらい食品の種類が多いのも楽しい。人と会っても、色々な人の色々な生活を窺い知ることが出来る。色々な国の食事を味合うことも出来るのも楽しみの一つとなる。

 もっとも現地に住んでいるわけではなく、短時日の訪問での外から見た印象のそれもごく一部を書いているに過ぎないので、これだけでアメリカの生活を理解してもらえるはずはないと思っているが、聞くと見るではずいぶん違うものである。ぜひ多くの人たち、ことに若い人たちにアメリカをはじめ、外国へもっと行ってもらいたいと思う。

 日本からしか見ないことになりがちな世界を、より客観的に、外から日本を見る機会を作ることが大切である。ことに、最近のように自国礼賛の情報の多くなった傾向の日本での見方に水を差してくれるような、アメリカから見た日本を見させてくれる良い機会にもなる。

 アメリカからすれば、日本はアジア太平洋諸島の一国に過ぎず、アジアであれば、圧倒的に中国が日本より大きな存在であることを嫌でも感じさせられる。こういった外の評価を国内でも大切にすることも、日本の進路を誤らせないためにも大事なことだと考えさせられる。

 よく「アメリカに移住してこないか」とも誘われるが、この歳ではアメリカの車社会で暮らしていけないことは明らかだし、同じぐらいの年代の友人はいないし、言葉の問題もある。今更アメリカの生活文化に馴染むことも難しい。時に訪れるのは好くても、住むのは無理である。

 卒業した孫やそれを巡る家族たちの生活や、それに関わる色々な問題もあろうが、それはさておき、アメリカに行く度に経験させられ感じさせられる、人々の生活や文化の違いとともに、世界の中での自分の位置を改めて再認識させられた旅でもあった。