被害者が加害者に賠償金を払う

 表題を読めば誰でもそんな馬鹿なことをと思うでしょう。しかし現実には多くの人が気がついていなくとも、そんなことが公然と行われているのである。 リーマンショックで銀行が潰れかけた時も政府が国民の税金で救ったが、東電原発事故の場合にはもっとひどい。とんでもない事故を起こし、周辺の住民に大きな災害を及ぼしただけでなく、5年を経た現在でも事故の収拾がついていないのに、賠償責任を負うどころか、その賠償金を全国の電気利用者に負担させることになっているのである。

 一時は東電を「法的整理」すべきだとの声もあったが、賠償の資金が残らず、国が責任を取らなければならなくなるという理由で、原発を持つ電力各社に分担を求める「原子力損害賠償支援機構」という組織を作り、電力会社十二社と国が同額ずつ出して東電の賠償費用の一部にあてるという枠組みをつくり、これを電気料金に組み込んでまかなうことにしたのである。

 同じような事故が起これば、他の電力会社も同じように支援を受けられることになっている。一見妥当な案のように見えるかも知れないが、この金をそのまま電力料金に上乗せするということは、電力会社の事故の賠償金を電気料金という形で被害者である住民まで含んだ一般国民に支払わせることになるのである。常識では考えられない被害者が加害者に賠償金を支払うという逆転したことが現実に行われているのである。

 しかも原発事故の責任は明らかにしないのが国の方針で、東京電力はあれだけの事故を起こしながら刑事責任も問われず、会社が潰れることもなく、まるで何事もなかったかのような顔をして営業を続けていることになる。(事故当時の東電社長ら3人が検察審査会により強制起訴されたが当然のことであろう*註)銀行の場合もそうだったが、大きな会社は悪いことをしても損をしても、国が国民を犠牲にしてでも助けてくれるのである。

 これがあれば、電力会社はまた事故を起こしてもこの仕組みで助けられるのだから、安心して再稼動にも踏み切れるというものであろう。さらに厚顔にも、その各電力会社に課せられた負担金についてさえ、電気事業連合会の会長(関電社長)は電力会社の責任が厳しすぎるので国と事業者の負担のバランスを考えて欲しいと要求し、原賠法の見直しまで要望している始末である。

 これでもわかるように福島のような原発事故を起こせば、その巨額賠償に耐える体力はどの電力会社にもないが、会社は大丈夫なのである。尻拭いは結局料金や税金という形で、被害者であり原発再稼動反対の声も強い国民に無理やり押し付けることになるからである。

 序でに言えば、具体的な被害住民に対する賠償についても、いかに補っても人の命や自然の破壊など金銭では埋められないものが多いにもかかわらず、被害者の参加を欠いたまま政府と東電で賠償基準を決め、請求の査定まで行うなど、加害者の方が政府と結んで上からの目線で被害者を見る態度で、種々の慰謝料や補償も一刻も早く打ち切って、事故がなかったことにしたいかのようである。

 こう見てくると、福島原発の処理も未だ済まず、原発事故への対策も十分でない中で、再稼動反対の大勢の意見も無視し、国民への十分な説明もない中での原発の再稼動が如何に国民の生存権までないがしろにした無責任で強引なやり方だということが分かるであろう。

註:旧経営陣の責任を問う訴訟は政府の方針通り検察により「不起訴処分」となり、法廷で裁かれることはなかったが、その「不起訴処分」に対して、検察審査会が二度にわたり「起訴相当」の議決を重ねたことで、検察官役の弁護士が「強制起訴」の手続きをとったという経過である。