漱石の夢十夜

 現在、朝日新聞夏目漱石の「夢十夜」の再録が連載されている。その第七夜に船から海へ飛び込んで自殺する話があった。部分的に引用すると

 「とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところがーーー自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせば良かったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。(中略)身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。(中略)そのうち船は通り過ぎてしまった。自分はやっぱり乗っている方が良かったと始めて悟りながら、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。」

 これを読んで、急に遠い昔の戦後の自分の幻が浮かび上がってきた。戦争に負けて突然海軍兵学校から放り出され、焦土の街に帰ってみれば、それまで信じていた「海ゆかば」「天皇陛下の御為には命を捧げて」や「鬼畜米英」の世界が急に消えてしまって、無政府状態に近い「自由主義」「民主主義」「勝手に生きろ」の時代に急変していた。

 大人たちは平気な顔をしてたちまち態度を変え、昨日とは反対にことを言い、反対のことをやりだしていた。昨日まで一緒だと思っていた人が急に反対のことを言い出し、昨日まで正しかったことが今日は間違っており、昨日の友も今日は赤の他人。昨日の敵が今日の支配者。自分の心はズタズタに切り裂かれ、皆生きることに必死で、誰も相手にもしてくれない。

 全てがひっくり返った世の中で、私にとっては敗戦は単に戦争に負けただけには止まらず、それまでの自分の全存在が否定され、生きる心棒がなくなってしまった。最早この世の急変について行けない。大日本帝国に純粋培養されたような当時17歳の軍国少年にはどうしてよいかわからなかった。はじき出されて、もうこんな世の中に生きては行けないと思った。

 どうせ人類は何万年先かは知らないが滅んでしまうものだ。人生はそのほんの一瞬。どう生きようとたちまち終わり。世の中どうなろうと自分の手の負えるものではない。どうなろうともう自分の知ったことではない。虚無の世界に落ち込んで、こんな詰まらない世に生きていても仕方がないと思うよりなかった。

 当時の仲間や若者で睡眠薬をのんだりして自殺した者も少なくなかった。私も何も分からぬ暗闇の中で、学業どころか空虚な生活を送りながら、やはり死ぬべきではないかと何度か思っていた。

 その頃の有り様ががこの話で思い出されてきた。時代が変わっても、人間のすること考えることは似ているものである。自分が本当に自殺しようとした時にも、もう実際に死にかけた時に、やっぱり生きていた方が良かったのではと思うかも知れないという考えが、ふと心をよぎって、結局、自殺の行動を思い止まったことを思い出した。

 その時は自殺を思いとどまっても、片方では自分は情けない奴だ、自殺する勇気もない奴だ。自分で決断さえ出来ないのかと自分を責めては、やはり自殺するべきかどうか、行きつ戻りつしたものだが、結局ふとした生きたいと思う心が自殺を止めてくれたのであろうか。

 そんなに昔のことは、そのような事があったことすらすっかり忘れてしまっていたが、この漱石の「夢十夜」の話を読んで思わず遠い昔の戦後の暗い時代のことが脳裏に蘇ってきたのであった。

 誰しも自分を自分で支えきれなくなった時には、自分にとってのこの世の終わりを考えることもあるかも知れないが、命のどこかに備わっている生きたいという本能がそれを救ってくれるものであろうか。

「もう一度日本」などと言って、またあの時代に戻るようなことには絶対反対するが、自然の本能のおかげで何とか私も九十近くまで生かせてもらうことが出来たことに感謝している。