孤独な子供たち

 昨日阪急電車で梅田へ出た時のことである。石橋の駅で小学三、四年生ぐらいの子らが一人の先生に引率されて二、三十名ばかり乗って来た。電車は空いていたので、真ん中のドアから乗ってあちこちにに分かれ、三々五々乗客の間に座席に腰掛けたり立っていたりすることになった。

 人数が比較的少ないせいか、学校での躾が良いのか、思ったほどうるさくもなく、車内の雰囲気を変えるほどのこともなかったが、乗客の間に散らばっていてあちこちばらばらなので、皆が赤い帽子を被っているとはいえ、大人の乗客に隠れて見えない子供もいるだろうから、先生が乗るとき降りる時など、目を行き届かせて人数を数え、落ちこぼれがないようにするだけでも大変だろうなと思いつつそれとなしに観察していた。

 私は車両の端の優先座席に座っていたが、一人の男の子がすぐ隣にやってきて座った。他の子達ははじめ同じ方向に走ってきた子もいたが、皆引き返して少し離れた所へ行ってしまった。その子は一人で黙って座っている。他の子より飛び抜けて大きく肥満気味で、皆赤帽をかぶっているのにその子だけ無帽で、顔貌も少し他の子と異なっているようだった。先生もその子の近くに立ち、何か話しかけているようであったので、何か特別な背景がある子だったのかも知れない。

 その子は少し違っているのかなと思ってい見ていたが、目を転じて少し離れた所に散らばっている子たちを見て驚いた。隣に座った子だけではなく、近くにいた四、五人の子供たちも皆すぐ隣にいる子どもとはお互いに話もせず、それぞれに違った方向を見て立ち、目も合わせていないようである。一人は壁に向き、一人は窓から外を見、またの子は中途半端にどこも持たずに立って車の振動に身を委ねているといった格好である。すぐ横の友達にも近ずこうともせず、お互いに話そうとも、顔を合わせようともしない。皆黙ってそれぞれひとりぽっちで立っている。

 もちろん、むこうの方では昔と同様に並んで座っている子の前に何人も立ち、群がってはしゃいでいる子たちもいたが、私の近くにいた何人かの子たちのばらばらで孤独な姿が奇妙で気になって仕方がなかった。

 私たちの子供の頃を思い出せば考えられない光景である。このぐらいの年代の子なら学校から一緒にどこかへ行ったのなら、途中の電車でももっとお互いにしゃべったり、はしゃいだりして、うるさくて他人に迷惑をかけるのが一番の問題であっったものである。嫌な友達といっしよになれば他所へ逃げて行っただろうが、あまり親しくない友達となら隣り合わせになっても少しは話をしただろうし、話さなくても体を接触させるなり、目で合図をしたり、ちょっかいを出したりして、何かお互いに反応し合うのが普通であった。

 ひとりぐらいなら不思議ではないであろうが、近くにいた4〜5名の子たちが皆それぞれに周囲を無視してひとりぽっちで立っているのはどう見ても異常ではなかろうか。

 最近の子供は小さい時から兄弟がいなかったり、昼間は両親ともいなかったりすることが多く、外で近所の子と遊ぶ機会もなく、小さい時から孤独の中で育てられている影響があるのだろうか。バラバラに立っている子らが何を思っているのかはわからないが、皆それが当り前に感じでいるようであった。

 子供が何人もいて群れないようでは大きくなっても集団の中でコミュニケーションがうまく取れない恐れが大きくなるのではなかろうか。この頃問題になっている『いじめ』の問題に関しても、こんな孤独でバラバラな状態では、何か問題が起こっても、そのような子は、そういう状態に慣れていないし、許容範囲が狭くなるであろうから、小さいことでも深刻に受け止め、大きな問題に発展する可能性が大きくなるのではなかろうか。

 朝日新聞のいじめについての中学生の声にも、「言われた本人が『いじめ』と思えば『いじめ』」「『いじり』と『いじめ』の境はない。やられた側の受け取り方だね」というのが載っていたが、孤独に育てられた子供の間のコミュニケーションの欠陥が現在の『いじめ』の問題を昔以上に深刻なものにしているのではなかろうか。

 『いじめ』ばかりでなく社会へ出た若者に多くなった『適応障害』や新型などと言われる『うつ』の問題などもこういった子供の時からの社会性の欠如などが関係していると言われている。

 季節が春で学級替えがあったりした直後などで、クラスがまだ纏まっていない段階ならともかく、今はもう秋である。同じクラスであれば子達はもう十分お互いに知り合っている頃のはずである。この時期に個々の子たちがこんなにバラバラで孤独なのはやはり異常なのではなかろうか。子供のこのような光景に出くわしたのは初めての事である。

 茨木の学校の子らしく、十三で落ちこぼれもなく皆降りて行ったが、何か不安な気持ちを残していった。たまたま遭遇した一場面を広く当てはめるわけには行かないであろうが、このような状況が広まっているとすれば、この子たちが大人になる未来はどうなるのであろうかと少し恐ろしい感じもした。