沖縄の生きる道は?

 政府と沖縄の話し合いが決裂し、政府は早速辺野古の工事を再開し、沖縄の願いを無視して強引に既定路線を進めようとしている。政府はいかにしても国民である沖縄県民の長年の苦しみに答えず、あくまでもアメリカとの約束を優先させるのである。これで果たして民主主義を標榜している国として、また人道的にもこれで良いのであろうか。

 沖縄の歴史を本で読んだが、昔は当時の中国の明へ朝貢しながら、中継貿易として朝鮮半島からマラッカやジャワ島まで行き来していた統一王国を作り上げていた島国であったようである。

 しかし、近年になって薩摩藩琉球処分など以来、日本の支配が強くなり、明治時代に沖縄県として日本に組み込まれた。以後は日本化が進められ、学校では方言を使うことも禁止されたそうである。

 その後にやってきた戦争では、本土決戦を少しでも遅らせるための捨て石とされ、米軍との地上戦で四分の一の住民が殺され、生き残った人は全て捕虜とされ、土地も奪われて米軍の巨大な基地が作られた。

 さらに日本がアメリカと結んだ講和条約後もアメリカ軍の支配が続き、1972年に日本へ返還されたものの、基地はそのまま続き、今日に至っているのである。よく言われるように日米安保条約による米軍の日本における基地の75%以上が国土の1%に満たない沖縄に置かれている。

 これには昭和天皇が沖縄に半永久的に米軍が留まることを容認したことも関連し、また沖縄に基地を集中させて本土の基地を少なくし、米軍の日本の基地に対する国民の反感の高まるのを抑えようという意図的な面もある。

 かような歴史的背景から日本政府は沖縄の基地にょる様々な重荷をあくまでも無視し、補助金などで住民をなだめ、住民の願望には全く目を閉ざし、沖縄を生贄として差し出すことによってアメリカに奉仕してきたのである。

 その積年の反発がいよいよどうにもならないところまで来て、辺野古基地建設反対運動が沖縄県民の一致した運動となっているのである。しかし政府はアメリカとの約束を優先させ、沖縄県民の願望はあくまで聞こうとしないで強引に基地建設を進めている。

 もし現在進められているアメリカ従属を強める安保関連法案の路線が進み、仮に日本がアメリカと組んで近隣諸国と対立することにでもなれば、米軍基地の集中した小さな島である沖縄は絶好の攻撃目標になり、そこに住む住民は再び過酷な運命を背負わされることになるであろう。

 翁名知事が国連人権委員会に訴え出た気持ちもよく理解できる。日本政府がたとえアメリカとの約束があるにしろ、ここまで沖縄の人々を痛めつけ、必死の救いの願いさえ無視することは人道的にも許されることではない。

 もうここまで来れば、いかに我慢強い沖縄の人たちでも政府を見限らずにはおれないのではなかろうか。もはや沖縄が基地をなくし平和な生活を取り戻すためには日本政府から離れて独立するよりないところまで追い詰められていると言わねばならないであろう。

 沖縄が独立して永世中立の立場を宣言し、外国基地を置かない憲法を作り、それを国際的に保証してもらうようにするのがよいのではなかろうか。沖縄の基地撤去は東アジアの平和にとっても望ましいことで中国や韓国も賛成するに違いない。

 アメリカも日本や韓国にに基地を移せば、それほど東アジアの戦略に影響せずに受け入れ可能なのではなかろうか。案外、反対するのは日本政府だけということにもなりかねない。

 その後の沖縄の生きる道は観光と中継貿易で行けるのではなかろうか。中国や韓国の人たちにとっては沖縄はアジアのハワイであろうし、アメリカ大陸やオーストラリア、東南アジアなど、さらには日本からも、北東アジアへの物資輸送の中継地点や物資の集積、配送拠点としての中継貿易も十分成り立つのではなかろうか。日本、中国、朝鮮、ロシアなどを含む東アジア共同体の政府を沖縄に持っ来るという案も考えられそうである。

 沖縄が日本に止まるか、独立するかは沖縄の人たちが決めることであるが、沖縄が独立を望むならば、これまでの歴史を知っていれば、日本人としてはそれを全面的に応援せざるを得ないのではなかろうか。