民主主義の危機

 政府は衆議院憲法審査会で憲法学者が揃って集団的自衛権憲法違反であるとし、自民党の長老たちまでがそれを注意しているにもかかわらず、強引に集団的自衛権を合憲として法案の採決を目指している。

 しかし、政府の見解はあまりにもこじつけで、誰の目で見ても無理があることが明らかである。

 1972年の政府見解は「憲法九条の下でも自衛権は使えるが、集団的自衛権の行使は憲法上許されない」という結論で、以後その見解を踏襲してきたのを、今になって「安全保障環境が大きく変化しているので過去の(結論の)「あてはめ分」にまで過度に縛られる必要はない」としてこの結論部分を変え、集団的自衛権の行使を一部認めることが出来るというのが政府の主張となっている。

 これに対し、このように「専門家の指摘を無視し、一方的に都合よく変更する姿勢は法の支配と対極するものだ」「憲法の基準が内閣が変わるごとにコロコロ変わることは許されない」「立憲主義に反するもの」などとする反論は当然のことであろう。

 憲法の範囲内で施策を委託され憲法を護る義務のある政府や国会議員が勝手に自分たちの都合のよいように憲法の解釈を変えること自体が憲法違反とも言えよう。

 自民議員が「学者が違反と言っているから「廃案」という論理はおかしい」とか「憲法栄えて国が滅ぶの愚をおかしてはならない」などと言い、専門家の論理、学説、学識を政治家が一方的に無視し、論理になっていない論理をごり押しするのに至っては立憲主義を知らない議員の傲慢さ以外の何物でもない。

 政府見解の唯一の基礎となっている砂川事件最高裁の決めた「自衛の措置」も、許される範囲を明らかにした上で集団的自衛権の行使を否定したもので、状況に応じて変わりうるものではない。

 そもそも砂川判決は米軍が日本に駐留し、日本が基地を提供する関係の妥当性を判断したもので、集団的自衛権の話ではない。砂川判決にある「固有の権能はあくまでも個別的自衛権を示していると考えるべきである」というのが正しく、政府もこれまでこの見解を維持して来ているのである。

 国民の委託を受けてする政治はあくまで憲法の範囲内であり、その範囲は恣意的に変えられるようなものでなく、疑義があれば専門家や国民のの意見を広く聞いて慎重に対応すべきものである。

 それを破ればファシズムに異ならない。この国の現状は今まさに立憲主義による民主主義の危機に直面しているとも言えよう。「戦争の出来る国にする」ことに反対するだけでなく、民主主義を維持し国民の主権を護るために皆で反対の声を挙げなければならない。