国旗、国歌を変えよう

 朝日新聞の声欄に『憲法より「国歌国旗」改定を』という投書が載っていた。

 その人の曰く、『オリンピックで日の丸が揚がり、君が代が流れれば感動するくらいの愛国心はあるが、日の丸を見ると凄惨な戦争体験が甦えるアジアの人が大勢いる。君が代を聴くと、家族を亡くした怒りと悲しみを思い出す日本人んも少なくない。憲法を変えるより「国旗、国歌」を国民全員が誇りに思えるものに公募公選で改定してはどうか』と。

 全く同感である。この方はまだ71歳なので戦争や戦後の惨めな生活を直接には経験されておられないであろうが、87歳になる私は敗戦が17歳だったから「大日本帝国」に純粋培養されたようなもので日の丸を振り、国歌を斉唱して本当に天皇陛下のためには命を投げ出しても戦わねばと思い海軍兵学校に行ったものの、惨めな敗戦を経験し戦後の急転換について行けず、自分の存在の全てを失い、長い間虚脱状態に陥っていた経験があり、今でも辛い思い出として残っている。

 従って、未だに日の丸を見、君が代を聴くと戦争を思いだして嫌な気分になる。「日の丸の赤は血の色、白地は白骨の色」の言葉は実感を伴ってよくわかる。朝早くテレビの始まりに画面に日の丸が出ると折角の朝の気分が害されるので、その時はテレビから目をそらすようにしている。オリンピックでも表彰式などで日の丸が上がると他の国旗だったら良いのになあと思わざるを得ない。

 君が代も何故民主主義に変わった戦後の日本でこのような嫌な思い出のある歌を国歌として用いなければならないのか疑問である。ましてや公務員だからと言って君が代を強制されるのは人権の抑圧だとしか考えられない。相撲の本場所のある時はほとんど毎日見ているが、千秋楽で優勝が決まった後の表彰式は君が代が流されるのでいつもテレビのスイッチを切っている。

 フランスの国歌のように国民が自分たちの過去の歴史を誇りに思えるような国歌を作れば強制しなくても皆が進んで歌うようになるであろうし、それでこそ国歌なのではなかろうか。そのようなことが出来ないはずはない。

 私にもパトリオティズムとしてのの愛国心は人一倍ある。この国に生まれこの国で死んでいくしかない自分にとってこの国以外に住める国はない。長い付き合いの歴史もあるし馴染みの深い人たちも風土もある。日本が好きだし、特に住んでいる大阪が好きである。阪神タイガースのファンでもある。

 しかしパトリオティズムナショナリズムと違って他人に誇示し押し付けるものではない。受け身で感じるものである。私はいつの日か日本が真の独立国になって平和で暮らしやすい国になって欲しいものだと願ってやまない。それだからこそ、皆が心静かに誇りを持って暮らせ、皆が愛着を持って誇りに感じられる国歌や国旗が欲しいのである。

 日の丸や君が代をいつまでも国旗や国歌として維持して行こうとするのは戦前を「もう一度日本」と懐かしがる勢力の強引な押し付け政策である。投稿者の言われるように、平和憲法こそは誰が作ったものにせよ70年間の平和を守ってくれたものであり、9条などは絶対に守っていくべきもので、国旗や国歌こそ国民が誇りを持って掲げ、歌えるものに変えたいものである。