一生人を殺さなくてすんだ

 昨夜夢の中でなぜか「90年近く生きてきて良かったことは何か」と問われて「とうとう人を殺さなくて済んだことだった」と答えていた場面が出てきた。どうしてこんなことが夢に出て来たのか前後の脈絡もなくさっぱりわからない。

 ひょっとしたら潜在意識に憲法9条の問題などがあり、戦後これまで自衛隊が人を殺したことがなかったのに、安倍政権による集団的自衛権行使容認、安保法制改定により自衛隊の海外派兵が可能になり、自衛隊がアメリカの先兵となって遠い外国で人殺しをするようになるかもしれないという恐怖感があったためかも知れない。

 現在いわゆる先進国に住んでいる人なら一生人を殺したことがないのが普通であろう。

しかし先進国でも日常生活では目に付きにくいところで毎年どれだけの人が殺されていることだろう。そして殺される人がいるということはそれに見合う殺した人もいるわけである。

 文明の発達とともに殺したり殺されたりする方法が巧妙に変わってきているから目立たないだけである。国内的には昔ながらの凶器による直接の殺人もあるが、今では凶器も使わない、直接暴力も使わないスマートの殺人方法が選ばれることが多い。一番多いのが社会的な権力により精神的に追い詰めて自殺させる方法であり、次いでは経済的に肉体的にも追い詰める方法、それも難しい時には不慮の死に追い込む方法なども行われている。

 手口が巧妙になるほど犯人自身すら社会の中での自然の成り行きのごとく感じ、毫も自責の念すら感じないことすら多い。

 しかしこれらよりはるかに残酷で、しかも自責の念がないどころか逆に自己を正当化して止まない先進国の後進国に対する野蛮な直接的な殺人行為である。戦争である。

 戦争の場合には殺人が奨励され逆に評価されるのであり勲章まで貰える。将軍が胸にいっぱい勲章をつけているのはその勲章の数だけ多くの人が殺されていることを表しているものであろう。最近では戦線布告さえない公然たる侵略さえ堂々と行われている。しかもそれらは皆平和のため国際的安全保証のためなどと言われている。

 そんなことが漠然と頭の中にあったのであろうか。もう二度と戦争はしないと誓った戦後は今なお私の体の中に深く根を下ろしているようである。

 私の子供に頃は戦争はいつも身近のことであった。日本も今よりずっと野蛮な国だったし、殺した、殺されたなどという言葉も今より身近に気軽に使われていたような気がする。街へ出れば兵隊さんに会わない日はなかったし、長い日本刀をぶら下げ、長靴の金具をガチャガチャさせながら歩く将校にもよく出くわした。

 中国から帰って来た復員兵たちが中国人を殺した話や戦場で女を犯した話を競って自慢していたし、中学校に行くようになると教練の授業があり、藁人形を柱に括り付けてそれに銃剣を突き刺す銃剣術なる訓練があり、戦場帰りの下士官が生徒の動作を見て「そんなことでは人は殺せんぞ」と怒鳴ったりしていた。

 その頃の話では実際に戦地に行くと初年兵の教育だと言って捕虜や近くの住民などを連れてきて棒にくくりつけ、号令一下兵隊に銃剣で刺して殺させ、戦場に、人殺しに慣れさせるようなことも日常のように行われていたようである。当時はそれが秘密ではなく自慢話として子供達にさえ話されていた。

 それから先になり負け戦が続くようになると、今度は空襲で空中一面から火が降ってきて大阪中が焼け野が原になったし、戦争の終わりにはとうとう原子爆弾まで見て、何日か後にはその焼け跡を通って引き揚げた。

 さらに戦後の飢餓の時代、闇市の時代の経験もひどかった。しかし幸運にも人を殺すことも殺されることもなく生き延びることが出来た。

 戦争が終わったのにまた朝鮮戦争ベトナム戦争といつまでも世界のあちこちで戦争は無くならず、多くの人が殺され悲惨な報道写真ばかりがずっと続いてきた。戦争ばかりでなくテロ事件なども断続的に起こりなくなるどころかますます酷くなるばかりのようである。人はますます大掛かりに出来るだけ自分たちの手は汚さずに出来るだけ効率よく多くの人を殺す手段を探っているようにさえ思われる。

 考えてみればこんな世界の中で生きてきてよくぞ殺されもせず、殺しもせずに90年も生きてこられたものだとも言えそうである。そういう思いがどこかにあって夢にも出てきたものであろうか。何れにしても人が人を殺さなくても生きていける世の中はありがたいものである。世の矛盾は尽きないが、人類の叡智が同じ人間を殺したり殺されたりする世界を絶滅出来る日の来ることを願わざるを得ない。