知行合一

 アメリカの韓国大使が食事会で暴漢に襲われ怪我をしたそうだ。暴漢は以前にも日本の大使にセメント片を投げつけたりしたことがある、これまでも何か政治的な動きをしてきた男らしい。

 そんな男がどうしてアメリカ大使にすぐ接近することが出来たのか疑問も残るが、それに関係があるかも知れない韓国の文化について、ある韓国の人が言っていた言葉をふと思い出した。

 韓国では儒教の伝統で何でも知るとすぐに行動に結びつくので小さなことでも騒ぎになりやすいのだというようなことだった。

知行合一」といって陽明学の命題の一つだそうだが、知と行は同じ「良知」といって人間に本来備わっている善悪是非の判断能力から発するもので分離不可能なものとする考えで、先知後行説とは違い、本当の知は実践を伴わなければならないとされる。言い換えれば、知とは「良知」であり素の心(仁)であり、行とは実践であり、実践とは「良知」を一事一物に”致す”ことと解説されている。既に行われて初めて真に知ることになるということらしい。

 それに対し、日本では知っても空気を読み、根回しなどしてからでないと実行に至らないことが多い。韓国人ばかりでなく、中国人も欧米人も自己主張が強く騒がしいことを見ると、やはり日本が特殊なように思われる。

 日本でも陽明学が導入された事は学校でも習ったが、この国ではなぜか「知行合一」とはならず、知ってもすぐに文句や理屈を言わず、先ずあたりの様子を窺い、良いと信じれば黙って実行する「不言実行」が重んぜられる。おそらく昔からの「むら社会」の伝統が強く、陽明学が入ってきても先知後行を変えるには至らなかったのであろう。

 その韓国の人は何でもうるさく騒ぎすぎる韓国より日本の方が良いといってくれていたが、知っていても何も議論しないで、空気を読みながら水面下で事が決まり、わからないうちに不言で実行されていく日本的なやり方をいつまでも続けていて良いのだろうか疑問である。