人生は結果ではなく過程

 リンゴの実の中に所々少し透明がかった甘い蜜のような部分があるのをご存知でしょうか。われわれの子供の頃にはあまり見かけなかったように思うが、最近は多かれ少なかれこのような蜜の部分のあるリンゴが多いように感じられるがどうであろうか。

 そんなリンゴを食べるごとに思い出すことがある。昔の患者さんで、そんな蜜の多いりんごを創りだそうと、りんごの品種改良に一生を賭けた人がおられた。

 今と違って、遺伝子を操作する技術などなかった時代の果物の品種改良は有望な木を植えたり接ぎ木をしたりして、育った気の果実から良い物を選び、それを元にまた新しい苗木を植えたり、接ぎ木をしたりして出きた果実からまた良い物を選び、同じようなことを繰り返していく気の遠くなるような時間をかけてする大変な仕事であった。

 その長い時間の間には人も年をとるし、世の中も変わっていくので、それによっても成果が左右されることになる。

 私のその患者さんだった人は大正生まれの人だったので、日本が中国の東北地方に侵略して満州国を作り日本の植民地として開拓する時代の波に乗せられて「満州」へ行かれた。

 「満州」こそリンゴの栽培に適した土地で、ここでリンゴの品種改良に取り組もうと夢を広げられたことであったのであろう。ところがようやく木が大きくなって実がなり、これから本格的に品種改良に取り掛かろうとした時に、日本が戦争に負け折角のリンゴをすべて捨てざるを得なかったばかりか、着の身着のままでようやくに日本へ引き上げて来られたのであった。

 知人を頼って泉北地方に落ち着き、戦後の混乱を何とか生き延びられたが、自分に出来ることはやはりリンゴの品種改良しかないと、何とか丘陵地帯に土地を得て、今度こそはと苗木を植え林檎の木を栽培し始められた。

 ところが運命の悪戯か、やっと苗木が育ってきていよいよこれからだという時に今度は他宅地開発で大掛かりなニュータウンを造成することになって、リンゴ畑も買収され、すべて根こそぎ開拓されて住宅地にされてしまうことになってしまった。

 自分の一生をかけてやりかけた仕事も夢も再度に亘り大きな力で押し潰されてしまい、どんなに悲しく悔しかったことだろうと思われる。

 しかもその深い哀しみが関係していたのかどうかは分からないが、今度は胃がんが発見され、手遅れですでに転移もあり手術も出来ずにとうとう亡くなられてしまったのである。

 なんという哀しい人生であろうか。同情してもし切れないと思う人もあるであろう。しかし本人は同情などして欲しくない。自分は自分に出来ることをやってきただけだと割り切っておられた。世の中が味方してくれなかっただけでそれなりに立派な生き方だったと思う。

 人は歴史や社会の大きな波に翻弄されながら生きている。何をしても成功する人もおれば失敗する人もいる。努力の賜物というが、運も大きい。如何に努力しても報われない人も多い。幸運に恵まれて成功する人もいるが、その影にはその何倍もの陽の目を見ない成功できなかった人たちがいるものである。

 いかなる物事も一人で出来るものではない。多くの人たちの失敗例の上に要約にして得られた成功が集団としての人の営みとして物事を切り開いていくものであり、目立った成功例はその頂点を示しているに過ぎない。

 一人ひとりについて言えば人生は結果ではなくて過程である。多くの人の生きる過程の集まりが結果を生み世の中を変えていくのである。成功した人を讃えると同じように結果につながらなかった人たちの努力に対しても同じ人間として賛辞を送りたいものである。