「植物人間」

 最近私の近くで二人もいわゆる植物人間と言われるような状態になった人が出来た。

 大変なことである。一人は義理の弟で、昨年春に孫が高校に入ったのでハワイへ遊びに連れて行った。そこで孫たちとスノーケルを楽しんでいた際に溺れて救助されたが心肺停止状態であり、救命されたものの植物人間状態となり、特別機で日本へ帰り、救急病棟から普通病棟、介護病院と経過してもう一年半以上もそのままの状態が続いている。

 泳げない人ではなかったので、後で見せてもらったCTでかなり動脈硬化が強い大動脈が写っていたので、あるいはスノーケル中に冠不全でも起こして溺れたのかもしれないと想像している。

 もう一人はもう長い間家族ぐるみの付き合いをしている人の奥さんで、この方は食事中に誤嚥窒息して救急車で運ばれたが、心肺停止となり蘇生するも植物状態となられたものである。

 いずれも突然の事故で本人はもとより家族はショックで大変であったが、高齢化社会のこの頃では自分自身を含めて何時誰の身にこういうことが起こっても不思議でない気がする。

 何かの事故が起こると当然救急車を呼んで病院に運ぶ。病院は何とか助けようとあらゆる努力をする。医療も今は昔よりずっと多くの助ける術を身につけている。その結果昔だったら当然助からなかった人も一命を取り留めることが多くなる。

 しかし残念ながら全てが完全にうまくいくとは限らない。病院へ到着した時にすでに死亡してしまっている人から、蘇生し完全に回復して歩いて帰れるようになる人までの間には、いろいろな程度で落ち着いてそれ以上には回復しないことが起こる。

 中でも一番問題になるのが脳が酸素欠乏に一番敏感なので、心肺機能はじめ他の体の機能が回復しても、それまでに脳が機能を失ってしまっていて意識は戻らず「植物人間」といわれる状態になってしまう場合である。

 中枢機能が失われてしまうので意識は戻らず呼びかけにも答えない、目はつむったま

まで手足は動かず寝たきりの状態だが、顔色はよく心臓は普通に動き、呼吸も自分で出来る状態である。

 家族は初めは医師の説明にもかかわらず、そのうちに目を開けてくれるのではないか、少しだけでも応答してくれるようになるのではないかと淡い希望を持つものだが、日が経つとともにやっぱり難しいか、駄目かなとなるが、そうなってもなかなか諦めきれない。

 顔色も良く心臓も動き呼吸も普通にしている。確かに生きているのである。長期にわたる介護や心配に疲れ果てても、僅かな変化にも一喜一憂し、ずっと応答はなくても「そこにいてくれるだけでもよい」と思うことが多い。

 私の近くでも二人もいるぐらいだから、この高齢化社会では似たような例は随分多いことだろうし、今後もますます増えてくるのではなかろうか。家族だけでは対応出来ないので、こういった例が増えるとそれに対する社会的な対応が問題ともなるであろう。 

 高齢化社会では、そうでなくても老人と病気は付き物なので医療費の高騰が進む上に、このような治癒の見込のない老人の長期にわたる医療、介護などの社会的出費の増大は、もはや成長の望めない社会にあっては、社会経済的に大きな負担になることは避けられない問題であろう。

 医療や介護は本来「社会的共通資本」であり、経済全体を考えてもこれらは優先して考えられるべきで、社会経済的な理由で不治の老人の医療・介護や死の看取り方などを切り捨てることなどを考えるべきではないが、数の増加、対応手段の進歩などによる費用の際限のない増大とどのように折り合いをつけるのか問題の解決は難しい。

 個々の例については、それぞれの例により歴史も異なり人間関係も種々である。第三者的に見て無駄な対応に見えたとしても近親者にとっての「そこのいてくれるだけでよい」という感情を無視することはできない。植物人間を無駄な生だと切り捨てるわけにはいかない。社会的な無言の圧力などで死へ誘導することは許されない。

 こういう困難な状態の発生そのものを予防すればよいのであろうが、事故が起こって救急車を呼ばないわけにはいかない。呼んで病院へ行けば病院は人を助けるために存在するものであり当然全力を尽くして命を救う。その人々の善意の結果がある頻度で必ず植物人間などの中途半端な生の状態が招来されることになるのだからこれも難しい。

 一度こうなれば誰もその運命を変えることは出来ない。自然の経過に委ねるより仕方がないのではなかろうか。社会的にも難しい問題である。

 ただ、私個人の場合には、植物人間のような状態では絶対生き続けたくはない。そのためには何かの事故にあったとしても、軽くて百%寛治する見込みのある場合を除き、救急車を呼ばないことにして欲しい。万一植物状態になったとしても人工的な栄養や水分補給をしないで経過をみて欲しい。それが唯一の迷宮に紛れ込まない方法ではなかろうか。