尖閣を巡る歴史的経緯

 昔まだ琉球王国があった頃は台湾と琉球を結ぶ通り道に尖閣諸島があったようである。当然その頃は日本の領土であるはずはなく、台湾や琉球、中国の人たちが適当に利用していたものであったと考えられる。

 その後、琉球を処分した明治政府は無人のこれらの島を編入しようとして初めは中国などに気を使ってためらっていたようだが、日清戦争で勝利が確定した頃、中国の反対を押し切って併合し沖縄県の一部としたのが日本の領有権主張の根拠のようである。

 第二次世界大戦後日本はサンフランシスコ条約で領土を本州など4島に限る条約を受け入れ、沖縄も台湾も日本領土ではなくなり、沖縄はアメリカが占領していた。当然その時は沖縄も尖閣諸島も日本領土ではなかった。

 ところが沖縄が日本へ返還されることとなった時点で、日本は沖縄と同時に尖閣も日本に返還されたものとみなしたようだが、中国や台湾は認めていないところから領土問題が起こっているようである。

 それ以後の歴史を継時的に見るとおよそ以下のようになる。

 1968年東シナ海の石油資源が発見され、米国のガルフ社が日本や中国に尖閣周辺の石油採掘権を打診してきた。

 1971年頃から中国や台湾の尖閣諸島の領有権主張が見られるようになった。

 1972年2月ニクソンの中国への電撃訪問のあと、同年9月に田中角榮首相がアメリカより早く決断してキッシンジャーを怒らせたが、中国を訪問し日中の國交を正常化した。

 1976年2月田中角栄はアメリカが絡んだロッキード事件で、他の収賄政治家は問題にされず田中首相の五億円だけが問題とされて逮捕された。

 1978年鄧小平は大平首相との会談で尖閣問題の解決は次世代に託してそれまで棚上げにしようと言った。

 以来尖閣諸島の帰属は棚上げのまま表面的な外交問題とはならなかった。

 小泉首相が何回も靖国神社に参拝して日中関係は悪化したが尖閣諸島領有権問題はほとんど政治問題化しなかった

 2006年第一次安倍内閣が発足し、安倍首相が初めての訪問國として中国に行った時も尖閣は問題になっていない。

 2009 年民主党鳩山内閣が出来、沖縄基地の県外移設問題が提起され、同年12月小沢が大勢の議員を引き連れて中国を訪問し日中友好を歌い上げた。

 それに驚いてjapan handler のアーミテージが急遽訪日し、鳩山は辞職し、小沢は脱税のスキャンダルで潰された。(政治家を潰すのは有罪にしなくても嫌疑をかけて社会的に葬ればすむ)

 2010年尖閣諸島に香港や台湾、日本の右翼などが押しかけ漁船と海上保安艦との衝突事件が起こるなど、急に尖閣諸島の領有権問題が起こり中国で反日デモなどが起こる。(あまりタイミングが良すぎるのでは?)

 2012年4月石原都知事がアメリカへ行って、ワシントンでの政治団体の会合で尖閣諸島を東京都が購入すると発表する。

 2012年9月野田首相により中国の意向を無視して政府が尖閣諸島を購入し、尖閣諸島の領有権問題がこじれ、日中関係は決定的に悪くなったしまった。その頃から両国で共に反中、反日のキャンペーンにも似たメディアやITの動きが世論を巻き込んで盛んになってきた。

 2013年第二次安倍内閣が発足して以来、特定秘密保護法集団的自衛権閣議決定などアメリカの要望に応えて急速に政治の右傾化が進み、原発の再稼動、防衛力強化から憲法改正まで視野に入りつつある。

 これらを通覧すると日中が仲良くなり過ぎてアジアから締め出される危惧を抱く遠い国が日中関係の悪化に無関係でないことがわかるのではなかろうか。