さざえ堂

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 五十年ぶりに会津若松に行ってきた。街は観光に力を入れているのか、回遊式のバスもあり観光には便利になっていたが、町の印象はすっかり変わっていた。飯盛山も山に登るエスカレータなどが出来て楽に登れるようになったし、白虎隊の自刃の場所もきれいになっていた。

 しかし飯盛山での昔の印象が強かったさざえ堂がそのまま残っているのが懐かしかった。飯盛山といえば白虎隊と決まっているが、私にとってはこのさざえ堂が一番印象に残っていた。

 建物は六角三層で拾伍六米の高さで、内部が回廊式になっており、上りも下りで同じ道を通らないで戻って来れる二重らせん状の構造で、しかも階段のない板張りの坂になった廊下だけのようなもので、外観もさして大きくもなく目立たない古い木造の建物に過ぎないが、その構造が珍しく一度入れば忘れられない印象的なものである。建築好きにはこらえられない。

 正式には円通三匝堂(さんそうどう)というそうで、由来は昔まだここが飯盛正宗寺という神仏合体の寺であった頃に、郁堂和尚という人が考案してこれを建てたのだそうで、当時は中に三十三観音が祀られていたが、明治の神仏分離の時にお寺を廃して厳島神社となったので仏像を他へ移したのだそうである。

 このような変わった建物がこの地方の町に忽然と出来たのはなぜだろうと思ったが、調べてみると面白かった。

 三匝堂(螺旋状になっているので栄螺堂といわれる)と言われるお堂は江戸時代後期の千七百八十年に江戸本所の羅漢寺の和尚が考案して長い間かかって作ったのが最初だそうで、その後関東を中心にあちこちに同様な特異な建築様式の仏堂が建てられたということなので、飯盛山のさざえ堂もその流れを汲むもののようである。

 いずれも回廊式となっており、順路の沿って三十三観音や百観音などが配置され、堂内を一通り回るだけで巡礼が叶うように作られたので流行ったのではなかろうか。

 ただ現存するものはもう八ヶ所ぐらいしかないらしいが、最も新しいのが東京の巣鴨にある大正大学の鴨台観音堂といって昨年5月に作られたようで、八角三匝の階堂で「鴨台さざえ堂」と言われているそうである。

 しかし飯盛山のさざえ堂の特異なのはお堂が殆ど通路だけで出来ている感じで階段がひとつもないところであり、郁堂和尚が二重紙縒りからヒントをえて作ったとも言われているそうである。他のものはどこも階段を昇降したり、各階の部屋の周りを通る回廊式になっているようで、それらとは違うユニークさが特徴のようである。

 いずれにしても今回は五十年ぶりに再会できたが、今は重要文化財に指定されているので将来とも時々手は入れられるであろうが、古い一見何処にでもあるような木造の建物なのでいつまで維持出来るものであろうか少しばかり気懸かりである。願わくばいつまでも同じ姿でいて欲しいものである。