戦争を経験した人がいなくなったのを良い事にして

 もう実際に戦争に行って戦争がどういうものかを体験した人は殆ど死に絶えた。戦後七十年になるから敗戦時に二十歳の人でももう九十歳、もう生きている人は僅かである。それに続いて国内で僅かに戦争を経験した世代もほとんどがいわゆる後期高齢者になってしまっている。

 今社会を動かしている現役世代は安倍首相をはじめみな戦後生まれである。もう戦争のことを知らない。あの悲惨だった戦争も私にとっての日露戦争のようなもので歴史上の出来事でしかないだろう。

 そのようなことも関連しているに違いないが、最近は歴史の見直しが盛んに行われている。戦後の反省を自虐史とみなし自国の正当性に置き換えようとする勢いが強い。自分の過去は誰にとっても良いほうが良いに決まっているが、世界の見ている中で正しい歴史を変えることは出来ない。

 しかし人々の歴史は決してすべてが輝かしいものであったはずがない。どこの国でも野蛮な世界から血みどろの戦いを経て少しずつ少しずつ進歩してきたもので、過去に汚点を見ない国はない。奴隷制度や人種差別、人身売買、強制労働、大量虐殺その他の歴史と無縁な国や人々の歴史は存在しない。

 そういった負の歴史も正しく理解してそれを乗り越えることによって初めて人類の将来が輝くのではなかろうか。「もう一度日本」などと言われるがもう一度戦前に戻ることは一段低い過去の歴史に戻ることである。戦後にあの戦争に対する国としての総括をしないままいつしか経済大国になってしまったことが悔やまれる。

 そういうことを考えに入れて見ると、最近のこの国での様子は憂慮に耐えない。秘密保護法は治安維持法を想起させるし、集団的自衛法は平和憲法をなし崩しにして戦争の出来る国にしようとしている。しかも問題なのは日本の真の独立なしに外国に従属したままにすべてが進んでいくことである。

 今朝のニュースを見ただけでも産経新聞朝日新聞沖縄戦で「軍隊が住民を守らなかったと語り継がれている」と書いたことに偏向記事を押し付けるものだと非難しているが、事実は沖縄の古老が一番良く知っていることである。そもそも軍隊が住民を守るものでないことは世界共通のことだし、自衛隊の机上作戦でもそういう計画が立てられたし、韓国軍も住民を見捨てて韓江の橋を爆破した事もある。

 もう一つの記事では在日韓国人に対する差別が益々あからさまになってきているようで、在日韓国人の芸能人も嫌がらせを受けるので身分を隠さねばならないようになってきているそうである。外国からの避難にもかかわらず「在特会」などのヘイトスピーチを取り締まろうとしない政府の姿勢などが後押しをしている格好になっている。

 さらに昨日驚いたのは大阪の何処かの幼稚園では園児たちに毎朝君が代を歌わせ、教育勅語の暗唱をさせているそうである。しかもその記事には日の丸と旭日旗を持った大勢の園児の写真ガ添えられており、思わず戦争中に子供の我々が日の丸を振って出征兵士を見送った光景を思いださせ空恐ろしく感じた。

 なんだかまた戦前の世界に戻りつつあるような気がして心配である。戦争は決して急に起こるものではない。だんだんと準備が整えられていよいよ戦争という時にはもう誰も反対出来ないような環境が出来上がってしまっているものである。

 曲がりなりにも空襲に遭い少しだけ海軍を経験した者にとってはこの国の先が思いやられる。今度戦争になればこの小さな島国は、仮に勝ったとしても、人々はほぼ全滅して国ごとなくなってしまうのが必定だということも考えて欲しいものである。