2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

バトンドールやグランドカルビー

この間、甥が来た時にお土産にグランド・カルビーなるスナック菓子を貰った。日頃菓子にはあまり縁のない私にはどんなお菓子なのか話を聞くまで知らなかったし、食べてみるまで実態も掴めなかった。 奇麗な外箱にはグランド・カルビーと書いてあり、外箱を開…

超ミニスカート

最近の若い女性は殆どと言ってもよいぐらい短い超ミニスカートか超短いパンツを穿いている。日本だけでなく、アメリカでも同様で私の孫たちもそうだし、心斎橋などで見かける中国からの観光客も同じ格好をしている。どうも世界的な傾向で、もうここ数年は続…

天皇は神様だった

日本が戦争に負けるまで天皇は神様だった。その神様が治める国だから日本は神国であり皇国とも呼ばれた。従って軍隊は皇軍、国民は皇民とされた。皇居は宮城と呼ばれた。 しかし天皇も現に生きている人間であったから現人神(あらひとがみ)と言われた。 神…

アメリカのために死ねますか

「集団的自衛権」の本質は「アメリカのために死ねますか」ということを考えてみるとよくわかるであろう。よその国のために、それも昔、敵国でさえあったアメリカのためにどうして命を捧げなければいけないのであろうか。 集団的自衛権の集団の主人はアメリカ…

広島の土石流災害

先日の集中豪雨によって広島郊外の住宅地で起こった土石流による被害は死者に行方不明者を合わせると百人近くにもなるらしい。新聞によると長さ11キロにわたって50ヶ所もの山裾が崩壊し、土石流が多くの住宅を押し潰したという。 まだ明けやらぬ真っ暗な…

二宮金次郎

戦前の小学校には何処にでも校門を入った近くに二宮金次郎の像が立っていた。私の知っている限りではどれもあまり大きなものではなく、身の丈一メートルばかりの像が台座に乗せられているものであった。一説によると子供に一メートルとはどのぐらいの長さか…

戦前への逆戻り?の不安

昨日の敗戦記念日の政府主催の戦没者慰霊祭で安倍首相は遂に戦争に対する反省や不戦について一言も触れなかった。 国民の多くが東日本大震災に続く秘密保護法や集団自衛権等の政治的な動きを戦前の関東大震災に続く治安維持法から第二次世界大戦への動きに重…

教育勅語

日曜以外の休みの日を何となく祝祭日と言っていたが、戦後法的に決められた祭日はなくなったそうである。今あるのは日曜か祝日だけである。 年間の祝日の数は2016年から8月11日が山に日になることが決まっているのでそれを合わせると年間16日になるら…

69回目の敗戦記念日

今日は69回目の敗戦記念日。あの日も暑い夏の青空だった。もう負け戦の様相は覆い隠すすべもなく、いよいよ「最後の決戦、最後の決戦」と叫び、天佑神助にすがるしかなかった戦況の下では、もう公然とは「負ける」とは言えなかったので「どうにかなる」と…

興亜奉公日

もうこんな言葉を憶えている人も少なくなったであろう。 1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件から日中戦争が始まり、始めは不拡大方針と言っていたのにいつの間にかどんどん拡がっていった。 東洋平和のため、満州は日本の生命線、満蒙開拓など子供た…

八月は特別な月

毎年八月になると嫌でも惨めな敗戦を思いだす。 真っ青な空にむくむくと沸き上がる入道雲と打ち上げ花火がその象徴。 八月六日の原爆投下時も雲一つない朝の青空だった。 ピカッと光った閃光に続いてドーンという地響き、 その後むくむくと立ち上った原子雲。…

夏のバンクーバーで気が付いたこと

7月下旬から8月の始めにかけて家族が集まるためにまたアメリカへ行った が、今回は西海岸の大きな都市で唯一まだ行っていなかったバンクーバへ立ち 寄ることにした。 誰かがサンフランシスコよりバンクーバーの方が好きだと言っていたが、その 通りで、バ…

原爆投下から69年

原爆の日からもう69年も経った。それでもあの日のことは 今も忘れない。雲一つない晴天の朝だった。午前八時十五分 江田島の海軍兵学校にいた私は朝の自習時間であった。突然 屋内にまで届くピカとした稲光に続いてどかんという爆発音。 驚いて外へ出た時…