2月の最終日に、「戦争を記録する会」だかの人が来て、私の戦中戦後、特に、大阪大空襲や広島の原爆の体験、海軍兵学校のことなどを喋り、録音し記録に残して貰うことになった。
すぐ翌日はもう3月、1日が第一日曜なので、クロッキーを描きにいっている間に、上の娘が亭主とニューヨークからやってきて、一週間ばかり滞在することになった。宿泊は下の娘のマンションだが、一緒の食事をしたりしたのも束の間、ベトナムのハロン湾へ観光に行くとか言って旅だって行った。
ところが、そのすぐ翌日には、下の孫娘がロスからやって来て、二週間ぐらい泊まっていった。彼女はフランスの会社に勤めているが、パソコンで仕事をしているので、どこででも仕事がこなせるようで、こちらへ来ている間も、ちゃんと仕事はしていたようであった。平素はロスとパリを行き来しているようである。
彼女は仕事が終わるとよく覗いてくれたので、一緒に食事をする機会も多かったし、以前にもまして色々話ができた。インターネットで日本人女性と日本語と英語のやりとりで日本語の学習もしており、日本語もだいぶ上手になったようである。外国人向けの日本語の練習帳のようなものを買ってプレゼントした。
彼女が長逗留している間に、今度はその姉の孫がやってきた。こちらはグラフィックデザイナーで、この度はナイキの新しい靴のPRとかで、旅費まで払って貰ってやって来た様である。九十七歳の老人も履いているストーリーとかで、私の平素の生活に、その靴を履いて歩いているところを組み込んで撮影していたが、締め切りがあるとかで、慌ただしく編集して、2〜3日で帰ってしまった。
妹は後まで残っていたが、帰ったのがもう3月25日だったか。瞬く間に3月も終わりそう。今は孫に貰ったナイキの靴を履いて散歩し、孫の作った映像を繰り返し見ながら楽しんでいる。