人生は探し物をすること

「人生は探し物をすることである」と言っても、才人は世の秘密や未知の物事を探し続けるが、凡人は失せ物を探すのに振り回されている。

 歳をとると、記憶力が衰えるので、つい物事を失念したり、置き忘れて、その後始末に、探し物をしなければならないことが多くなる。毎日のように何かを忘れ、それを取り戻すことに追われることになる。

 メガネがない、財布がない、鍵がないなどなど。殊に老眼鏡や入れ歯、ステッキのように、歳をとってから使うようになっものは特に探し物の対象になり易い。

 いずれも手軽ないつも使う生活必需品だから、気軽に使って、気軽に忘れることになるが、なければたちまち困るので、嫌でも探さなければならない。老眼鏡を頭の上にずり上げて老眼鏡がないと言って探している姿などアチコチで見られる風景である。

 老人に多い薬の服用も、呑んだか吞まなかったか、つい忘れ勝ちである。朝飲んだのか、今さっき飲んだのか記憶が曖昧になる。ましてや一日置きに飲む薬などの管理は大変である。あらかじめ計画的に管理しておくことが必要である。

 私もご同様なので、昔から忘れ物に振り回された経験は数え切れないぐらいある。昔は電車の網棚に乗せた荷物を忘れて、電鉄会社の忘れ物係へ取りに行ったことも一度ならずあったし、料理屋でステッキを忘れて帰り、日を改めて取りに行ったこともあった。食堂で眼鏡を忘れてそのままになってしまったこと、駅のホームのベンチで座って長らく待ち、やっときた電車に慌てて乗って、写真の三脚を置き忘れたこと、ビアホールでも三脚を忘れて日を改めて取りに行ったこと等等、数え切れない。そうそう、出がけに入れ歯を忘れて、娘に病院まで届けて貰ったこともあった。

 中には親切な人に助けられたこともあった。ある街道筋の食堂でカメラを忘れて出てしまったが、店の人が車で後を追いかけて来て届けてくれたことがあったし、とある地方の美術館で、ステッキを忘れて帰ろうとしたら、入館時にステッキを持って入ったのを見ていた係の人が、ステッキのないことを知らせてくれて、忘れずに帰ったこともあった。

 歳をとると記憶力が鈍くなるし、注意も散漫になるのであろうか。出かける時も玄関で一応チェックしないと何かを忘れて出てしまうことがある。眼鏡、鍵、財布、スマホ、ステッキ、マスクと必須の持ち物も多い。うっかりすると一つぐらい抜けてしまう。

 忘れる方も多くなるが、年と共に、忘れたものを探すのも大変になる。記憶力が悪くなると過去の動作の記憶があやふやになるので探し難くなる。スマホがないと探し回っても見つからないと思ったら充電中であったのをすっかり失念していたこともある。それに視力が落ちるので見つけ難くもなる。メガネや財布などの小物は特に薄暗い所や同系色の物の上などにあると、あっても見逃し易い。

 同系色の椅子の上に置いた財布を見過ごすことがあるし、外したばかりの老眼鏡がみつからない時に、女房がここだと言って渡してくれることもある。毎朝飲むことにしているビオフェルミンの錠剤は毎日食事の初めに瓶から取り出す習慣にしておかないと忘れ勝ちになるし、テーブルクロスの黒っぽい模様の上に置かないと行方不明になりかねない。

 こうした忘れ物は若い時からあるので、その対策も立ててはいるのである。電車では荷物は決して網棚には乗せないことにしていたし、老眼鏡は100円ストアでいくつも買ってきて、どの部屋にも置き、掛けたままでは移動しないようにして来た。

 二階へ持って上がった物は用が済んだら、その時点で階段の側に置いておくとか、外出時に必要な物は、なるべく、一定のチョッキやジャケットの決まったポケットに入れておくなり、物によっては一定のカバンに入れて、出掛ける時のために用意しておくなどして来ている。

 非常時に家から逃げ出す時に、入れ歯と眼鏡は忘れては生存にも関わりかねないので、玄関の入り口に二つの絵が描いて置かれている。

 それでも、忘れたり探したりは増えることはあっても、減ることはなさそうである。先日書いた鍵の話もそうであるが、昨日の朝は、また一昨日に脱いで寝たシャツが見当たらない。一緒に着替えたシャツやズボンはあるのに、タートルネックのシャツだけが見当たらない。寝室に見当たらないので、念のためと思い、あちこち探しても見つからない。他のシャツで間に合わせたが、何処にもない、まるで神隠しにあったみたいである。

 もう諦めていたら、今朝ベッドの上にあるではないか、ベッドの上は先ず真っ先に探したし、ベッドの上に乗っていたガウンの下も見たが、その時にはみつからなかった、ガウンは作日の夜も着たり脱いだりしていたが、気が付かなかった、それが今日はベッドの上にちゃんと置かれているではないか。一昨日の夜に私が畳んだ通りのままである。

 まるで、狐につままれた様な話である。ベッドカバーと色が似ていたので見過ごされたのであろうか。ベッドの上にあったガウンは昨夜も使っていたし、シャツのようにそこそこ大きなものを見過ごすことがあるのだろうか。どうも解せないが、見つかったことは良いことだし、現実を受け容れるより仕方がない。天に神サマがいたら微笑んだであろうが、人生では時に不思議なこともあるものである。

日本は戦争が出来る国か?

 戦争放棄平和憲法を持ちながら、最近の日本は軍事費を国家予算の2%にまで増し、専守防衛から、いつの間にか、敵基地攻撃能力とか、継戦能力保持だとか勇ましいことばかり言うようになったが、果たして、これまで軍備を増強して、平和維持どころか、本当に戦争が出来るのだろうかと心配になる。

 戦闘能力が向上すれば、ある程度の戦闘は出来るであろうが、戦闘は当然戦争に繋がる。こうして戦争になったとしても、日本は戦争にも勝てる積もりなのだろうか。日本の抱える弱点についても知っておかねばならないであろう。

 私が子供の頃、地球儀を見せられて、赤く塗られた日本列島が隣の中国やアメリカと比べて、如何にに小さな島国だと言うことを知らされた。

 当時日本は中国に侵略していたが、その当時、はるかに発展の遅れていた中国で、日本軍は連戦連勝だったが、広い中国はどこまで行ってもキリがなく、とうとう日米戦争になって、結局日本は負けてしまった。

 アメリカも大きな国土で発展した国だった。太平洋戦争の始まる前、祖母が「あんな大きな国と戦争して何が勝てるもんかね」と言ったのを未だに覚えている。

 日本が小さな島国であると言う事実は変わりようがない。この小さな島国で、当時人口7000万だったが、「こんなに小さな島国でこんなに沢山の人を養えるわけはないだろう」と言われ、国策で南米への移民や、満蒙開拓団が進められていたのを納得したものであった。

 戦後の発展のおかげで、今や1億2千万の人々が暮らしているが、平和で、産業の発展、海外貿易や交流が順調に進んでいるから可能になったのだと言うことを知っておくべきであろう。戦時中のように、海外との交流を絶たれると、忽ち国民は飢餓に見舞われ多くの人が餓死したことは、嫌と言うほど、経験させられたことである。

 外国からの輸入で国民の食料を賄っているのが日本の現状であり、現在の食料自給率は30%に過ぎず、しかも、国内で育てられている農産物も、その種子は殆ど外国製で、それらも考慮すれば日本の食料自給率は10%ぐらいだとも言われている。もしも、戦争で外国との交通を遮断されれば、忽ち国民は飢えてお手上げなのである。

 そうでなくとも、細長い小さな島国で、大都会に人口が集中している国では、関東、中部、関西、北九州あたりに水爆を4〜5発も落とされれば、それだけでもうほぼ全滅となってしまうであろう。

 そうでなくとも、この小さな島国に原発が54基もあり、その原発は殆どが海岸線近くに固定されて存在しているのである。ICBMのようなものでなくとも、こっそりと近づいた潜水艦からのミサイル攻撃でも受ければ、もう防ぎよようもないであろう。若狭湾に並ぶ原発が攻撃され、破壊されて放射能が広がれば、もうそれだけでも日本は手を上げざるを得なくなるのではなかろうか。

 しかも、日本は世界最高と言って良いぐらいな少子高齢化の社会でもある。現在でも65歳以上の人が全人口の30%近くを占め、今後更に増える。当然、兵士として戦える若者も少なくなり、先の大戦当時とは違って、兵員の確保も問題になるであろうし、戦いに対する社会の認容度も遥かに低い。今や日本は戦争には向かない国であることを認識すべきであろう。

 それにもかかわらず、日本が惨めなのは、アメリカの属国である限り、自衛隊は米軍の指揮下にあり、米軍の意向に逆らって戦うことも、戦わないことも出来ないことである。米軍は米国の利害関係によって動くものであり、戦闘でも、有利な時には主導しても、不利とあらばいつでも逃げることが出来る。 それに対して、地元の国である日本の自衛隊は逃げられない。 嫌でもアメリカの代理戦争をさせられることになりかねない。

 米国は自国の兵士が無傷で、大量の武器を売って大儲けのウクライナ戦争が忘れられずに、日本や韓国に代理戦争をさせようとする可能性が高い。現在の軍事費増強も、アメリカの指示によるものであろうし、第3次世界大戦を避けながら中国を叩くために、アメリカが日本に代理戦争をさせようとするのを如何に逃れるかが日本の今後の重要な進路となるのではなかろうか。

 上述のように、日本はもはや戦争に耐えられるような国ではないことを知るべきである。米国の思惑をかわして、中国をはじめとする近隣国との善隣友好関係を維持し、経済やあらゆる交流を通じて共存共栄を追求していくことしか将来の発展のための道はなかろう。大事なことは軍備増強などより、外交的努力による善隣友好、共存共栄を図ることである。

 

 

人体はうまく転ぶように作られていく

 新聞のコラムに「人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく」という那須耕介という人の言葉が引用されていた。

 歳をとってから幾度となく転んだ経験があるので、つい目がいって読んだ。それは「赤ん坊は歩けるようになるまで散々転ぶが、やがて、転びかけると咄嗟に手をついたり、体を捻ったりして衝撃を和らげるようになる。歩けるというのは、上手な転び方をわきまえていることだ」と。

 そうとすると、歳をとって転び易くなるのは、うまく転びぶことが出来なくなるからだと言えそうだ。なるほど、老人はバランスがとりにくくなって、咄嗟に身をかわすとか、体を捻ったりして上手に体をこなすことが出来ないで、下手くそにバッタリと倒れてしまうようである。

 ステッキや杖を持っていても、転ぶことがあるのはそれを証明しているようなものであろう、私も、杖をついていても、転ぶことが二回はあった。一回は杖が溝に嵌った時。もう一回は、斜めに段差を上がろうとした時である。いずれも、咄嗟に体のバランスが取れなかったためのようである。

 カラムでは、話は「うまく転ぶ」から、感情を豊かで安定したものにすることに向かい、柔道で先ずは受け身を習うように、「感情の受け身」を習得することが大事だということに話が向かっていた。

 それはそうとして、年寄りは最早、身体のバランスを取るのが不味くなっていて、「うまく転べない」のが転倒の原因なのだから、ステッキや杖にだけ頼るのではなく、日頃から軽い全身運動でも心がけて、少しでも体のバランスをとり易くしておくことが大事であろう。

 私もラジオ体操に加えて、自己流の色々な等尺性運動なども続けるようになってから、ステッキの助けも借りてはいるが、転倒の回数がずっと少なくなったようである。

歌句の世界も高齢化

 毎日曜日の朝日新聞には歌壇・俳壇のページがあり、いつも楽しみにしている。十数年前から人々に残された戦争の傷跡がいつまで続くのであろうかと気になって、歌壇俳壇でもチェックすることにしためもあって、殆ど欠かさずに読んできた。

 流石に、戦後77年ともなると戦争を体験した人たちも殆ど死に絶えて、直接、戦争経験に基づく歌は減ってきたが、今でも子供の時の体験や、親の世代の戦争についての思い出などはいくつも歌われており、戦争の与えた影響の大きさを感じさせられる。

 それに対して、最近の歌壇・俳壇で顕著になって来たのは日本社会の高齢化である。子どもや若者の歌も載せられているが、歌詠みの多くは、長く続けて来られて高齢になられた方や、高齢になっつて歌を始められたような方たちであろう。それに長らく面倒を見てこられた選者の方も、年毎に高齢化が進んで来ているであろう。

 今朝の歌壇・俳壇を見ていても、改めてその高齢化社会ぶりに気がついて驚かされた。今朝の俳句の方だけに限って見ても、下記のような句が並んでいた。

   老人の力合わせて秋祭り

   高齢の笛や太鼓や村祭り

   亡き夫の釘の高さや柿吊るす

   干し大根もどすが如く湯に浸かる

   一句とて作りかねるや九十二は

   還暦と米寿の親子とろろ擂る

   独りきりの結婚記念日十三夜

 我が家の周りの道で出会う人たちも老人ばかりである。政府は軍備増強だの、敵基地攻撃能力だの、継戦能力保持だなどと勇ましいことばかり言うが、この高齢化社会で戦えるのか?

勇ましいだけでは戦闘はできても戦争は無理では?現実も見て、考えて、ことを進めて欲しいものである。(11月6日)

 

狼少年にするな・Jーアラート

 アメリカと韓国の軍事演習に対抗して、北朝鮮がまたミサイルの打ち上げを繰り返している。中に再び大陸間弾道ミサイルの撃ち上げもあったようで、日本でもJ-アラートが発せられた。

 ところが、Jーアラートが発令されたのは、ミサイルが日本上空を通過すると計算された時刻よりもも2分も遅かったそうだし、日本上空を通過する筈のミサイルは、途中で消えて消滅し、J-アラートの訂正の発表もあったようである。

 実際に日本が攻撃されるであろう時や、それに巻き込まれて損害が起こる危険が予測される時には、緊急アラートで知らせることは国民を守るために必須であろう。しかし、必須であればあるほど、正しく的確に伝え、利用しなければならないのは当然である。

 それであればこそ、Jアラートの運用は慎重に行い、軽はずみな利用は慎むべきである。今回のように、2分遅れではアラートの意味がないばかりでなく、誤った情報は人々に混乱を引き起こす上、それが繰り返されれば、人々に対する信用を失い、本当に必要なときに役に立たなくなる。J-アラートを狼少年にしてはならない。

 緊急に国民に知らせることが必須であるだけに、それを信じて貰える条件を作っておくことが必須である。安易にJ-アラートを発令すべきでない。Jーアラートの発令は果敢でなければならないが、余程慎重に正しく判断して発令しければならない。警告だから間違っても早く出しておいた方が良いなどと安易に考えるべきではない。多くの人々の安全や生命に関わることである。

 今回のように誤りがあったり、アラートが出ても危険が迫らないことが何度も繰り返されると、オオカミ少年の話の如く、J-アラートは人々の信用を失い、実際に必須の時に、またかと思われて、真剣に反応して貰えないことになる。国民を守るためには厳格なJ-アラートの運用を考えて欲しいものである。

 ただ、最近のアメリカと中国の分断に乗じて、外交を疎かにしたまま、軍備の大幅増強だの、敵基地攻撃能力、継戦能力保持だなど物騒なことばかりが騒がれている時勢を考えれば、その一環として、暗に人々の恐怖を煽るために、J-アラートも故意に利用されているのかもと怪しみたくもなるこの頃でもある。

豊中音楽コンクール

 大阪音大のカレッジ・オペラハウスで開かれた「豊中音楽コンクール受賞者記念コンサート」なるものにに行ってきた。毎年秋には豊中市は「とよなか音楽月間」として色々な催しをしているが、その中でここ数年来、大阪音大が協力して「豊中音楽コンクール」を実施している。

 ピアノから、声楽、管楽器、弦楽器に至る各部門のコンクールで、今年は全部で202名の応募があり、その中で選ばれた奏者による受賞記念のコンサートが行われたのである。

 各部門で優勝した人達だけあって、皆なかなかの演奏であったが、殊にピアノやヴァイオリンは底辺の応募者が多いだけに、より優れた奏者が選ばれているのであろう。最初の高校生部門のピアノから難しい曲を素晴らしく弾き、感心させられた。

 大学部門の優勝者となると、もはやプロとしてでも通るのではないかと思われるような達者な演奏であった。特に最後のトリを飾った阪大2年生という男子のヴァイオリンなど、態度も堂々たるもので、既にプロとしてでも通用するのではないかと思わせる好演ぶりであった。

 以前なら、学生の音楽コンサートだから、こんなものだろうという感じであったが、日本の学生の音楽レベルも素晴らしく向上したものだと感心せざるを得なかった。考えてみれば、戦後に子供達にピアノやヴァイオリンを習わせる人達が多くなって来てから、最早60〜70年も経っているのである。

 その頃から拡がっていった日本の音楽の普及の底辺は、最早、その頃の親たちの子供や孫たちに受け継がれ、今では、子供の頃からクラシックに親しんだ親たちが、その子供たちに早くから音楽に親しませ、習わせるといった、音楽に馴染んだ環境に育った若者がどこにでも溢れるようになり、その広くなった底辺の中で優れた走者も育ち易くなって来たのであろう。

 こうして、殊にピアノやヴァイオリンは豊中だけでも奏者の底辺が広いので、その優勝者ともあれば素晴らしい演奏をしても不思議ではないのであろう。つくづく日本にもクラシック音楽が根付いてきたことを感じささられた次第であった。

 

 

今様二宮金次郎

 敗戦までの旧大日本帝国の小学校には、どこでも校門を入ったあたりに二宮金次郎銅像が立っていた。大抵は、その隣ぐらいに奉安殿があって、教育勅語が収められており、その前を通る時には、お辞儀をする様に言われたいたものであった。ところが、戦後になって奉安殿が全て撤去されたのに伴い、殆どの二宮金次郎像も消えてしまった。

 従って、今の子供や若い人の中には、二宮金次郎と言っても知らない人も多いのではなかろうか。二宮金次郎という人物が本当に存在していたかどうかは知らないが、昔は金次郎といえば、貧しくて忙しく、薪を背負って仕事をしながらでも、本を読んで勉学に励んだということで、生徒や学生などの手本として、無理をしてでも勉学に努めよという象徴として、毎日顔を合わせられる様にと、殆どの学校の目立つところに建てられていたのであった。

 先日、何処だったか田舎のとある広場で、昔どこかの小学校にあったのであろう二宮金次郎像に出会し、小学校の頃を思い出したが、二宮金次郎は勉学の勧めで、何も軍国主義とは直接関係がないのに、奉安殿とともに戦前の軍国主義教育の象徴とされたのか、一緒に撤去されてしまったのを哀れに感じたものであった。

 しかし、最近は、金属製の二宮金次郎像ではなく、生きた今様二宮金次郎があちこちで見られる様になって来たのをご存知だろうか。現代の金次郎は薪の代わりに大きなリュックを背負い、本の代わりにスマホを見ているのである。

 勤め人のリュックは阪神大震災後に流行り出した様だが、今や多くの勤め人が利用しているのは、大型で四角いリュックで、パソコンや書類が入れやすい様になっており、中にはパソコン用のバッテリーまで備え付けられているものもある。

 もう昔のサラリーマンの定番であった手提げカバンより、リュックの方が多くなったのではなかろうか。まさに今様二宮金次郎である。ただし、背中のリュックは薪に代わる仕事用のものだが、スマホでは本と違って必ずしも勉強しているとは限らない。電車の中でチラチラ盗み見してみると、友達や恋人などとLINEでやり取りしている人もいるし、夢中でゲームに興じている人も結構多い。

 また、リュックは手提げカバンと違い、込んだ電車の中では他人の邪魔になるので、車内放送でも言っているが、リュックは逆に胸元に抱える様に逆向けに掛け、リュックの上から顔をを出して、リュックの上でスマホを見ている人が多い。

 現代の二宮金次郎は昔のそれと似てはいるが、果たして皆のお手本になるものやら。それより大きな荷物を背負って、パソコンを見ながら満員電車で出勤する姿を見ると、姿は変われど、今も変わらぬ通勤する人達の過酷な労働条件に変わりないことが確かめられる。

 今も昔も、二宮金次郎は勉学の勧めというよりは、過酷な状況のもとで働く庶民の姿の象徴している様な気がしてならない。