ぜひ読んで欲しい信濃毎日新聞の社説

 このところ政府はアメリカの要望に応え、殊に南西諸島の軍備増強を急ピッチで進め、軍事費も増加させ、自衛の範囲を超えて敵基地に対する先制攻撃能力にまで言及するようになった。明らかに憲法の規制も無視し、先の戦争以来守られてきた平和な時代を終えて、まるで戦争の準備をし出したとさえ言えなくはない危険な状態に突き進んで来ている。

 折角先の大戦の反省に立って、これまで維持してきたこの国の平和も、国民がここらで声を上げなければ、再び取り返しのつかないことになりかねないことを恐れる。

 最近の南西諸島の軍備増強についての社説を信濃毎日新聞が乗せているのを見たので、是非一人でも多くの人に読んで頂きたく、ここに転載させて貰うことにした。SNSからのそのままのコピーである。 

信濃毎日新聞デジタル 2021.12.26.Sun

<社説>たが外れた防衛費 真の危機は軍拡の先に

2021/12/25 09:31 長野県 論説 社説

 自衛隊と米軍が、台湾有事を想定した新たな日米共同作戦計画の原案を策定した。

 米海兵隊の小部隊が、鹿児島県から沖縄県にかけての南西諸島を拠点に、対艦ロケット砲を携えつつゲリラ戦を展開する。

 島の人々が戦闘に巻き込まれる危険は飛躍的に高まる。防衛省からも危ぶむ声が漏れる。

 米軍の対中国作戦に呼応し、南西諸島の軍事拠点化を押し進めてきたのは、ほかならぬ政府だ。2022年度予算案に計上した防衛費も、この流れを強化する中身となっている。

〈10年続けての膨張〉

 予算案には5兆4005億円の防衛費を盛った。10年連続の増額となり、過去最大を更新した。本年度の補正予算に前倒しした7738億円と合わせれば6兆円を超え、国内総生産(GDP)比1%枠を突破している。

 南西諸島の軍備拡張が際立つ。鹿児島の奄美大島、沖縄の宮古島に続き、陸上自衛隊駐屯地を建設する沖縄の石垣島にも地対艦、地対空のミサイル部隊を置く。

 同じ沖縄の与那国島陸自駐屯地には、相手の通信やレーダーを電磁波で妨害する電子戦部隊を追加配備するため、施設整備費を付けている。こうした島嶼(とうしょ)地域に弾薬などを運ぶ輸送船2隻の取得費も盛り込んだ。

 南西諸島の要に位置し、日米共用の訓練基地が計画される鹿児島の馬毛島にも、滑走路建設費を含む3千億円余を割いた。環境アセスの最中で、地元の西之表市が反対しているのに、だ。

 中国の極超音速ミサイルやサイバー攻撃に対抗しようと、研究開発費を大幅に増やしている。宇宙やサイバー、電磁波、無人機、地対艦誘導弾の長射程化にとどまらない。日本が将来、極超音速兵器を導入するのに備え、目標識別技術の獲得にも着手する。

文民統制が揺らぐ〉

 新たな共同作戦計画は、高性能ミサイルを配備する中国と戦うため、海兵隊が昨年3月に提唱していた。日本も南西方面に自衛隊を進出させ、軍備を拡充している。島々が米軍の踏み台にされる事態は予測できたろう。

 自衛隊と米軍の基地共用も活発になっている。南西諸島の住民が自衛隊駐屯に反対するのは「来るのは自衛隊だけではない」と、見越していたからこそだ。

 中国の軍備増強に焦る米軍は、自衛隊に作戦策定を強く迫り「政治的なプロセスは待っていられない」と言い放ったという。

 今年初め、陸自海兵隊沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブに、陸自の水陸機動団を常駐させることで合意していたことが明らかになった。制服組同士の独走は文民統制を揺るがしかねず、看過できない。

 歯止めをかけるべき岸田文雄政権は逆を向く。首相は▽外交・安全保障の長期指針「国家安全保障戦略」▽10年ほどの「防衛計画の大綱」▽5年ごとの「中期防衛力整備計画」―の3文書を、22年末までに改定すると表明した。

 相手のミサイル基地を先にたたく「敵基地攻撃能力」の導入が焦点になる。6兆円規模、あるいはそれ以上の額の防衛予算を定着させる構えでもいる。

 同じ穴のむじなと言っていい。日本維新の会と国民民主党は軍拡路線を肯定し、より急進的な方策も主張している。

 立憲民主党も日米同盟を重視する。安全保障を巡る国会の議論は低調で、争点にならず、国民には実態が見えにくい。

 首相は、日本を取り巻く国際情勢の変化を踏まえ「『新時代リアリズム外交』を進めたい」と唱える。力に力で対抗すれば、いずれ破綻する。ロシアとの北方領土問題、北朝鮮との拉致、核・ミサイル問題にも展望は開けまい。

〈選択肢を狭めるな〉

 専守防衛を逸脱し、敵基地攻撃の兵器や米軍の中距離ミサイルまで配備する事態になれば、中国との断絶は避けられない。

 予算案の歳出総額は107兆6千億円に上り、歳入の3割強を借金に頼る。財政面からも、軍拡は「リアリズム」とは言えまい。

 沖縄の人々は、日米安保条約の枠を超えた米軍の傍若無人な軍事行動、不平等な日米地位協定があるがゆえに、基地被害に苦しめられている。この上、重しを加えようというのか。

 沖縄振興費は10年ぶりに3千億円を割り込んだ。米軍辺野古基地に反対する県への意趣返しか。西之表市にも米軍再編交付金をちらつかせた。卑劣な手段で地方自治をゆがめるのは許されない。

 台湾海峡で米中が衝突すれば日本に飛び火する、と専門家は指摘する。標的となるのは南西諸島だけではなかろう。在日米軍自衛隊の施設は全国に点在する。

 浮上した共同作戦計画、防衛費の膨張、3文書改定…。22年は安保政策の分水嶺(れい)になり得る。一人一人が意識して動向を見据え、外交努力で命と暮らしを守る選択肢の議論を政治に促したい。

ーー以上ーー

雪よ 雪よ この冬の雪は?

 今年は年末になって、テレビは「数年に一度の寒気がやって来て大雪が降るので警戒して下さい」と仕切りに言うようになった。

 昔は新潟や秋田などの日本海側では、毎冬大雪で、冬中雪に閉ざされて、雪が深いので二階から出入りしなければならないなどと言われていた。病人でもで出れば、それこそ大変で、病人を戸板に乗せて、若者たちがそれを担いで山を越えて運んだものだというような話もよく聞かされたものであった。

 近年は道路も整備され、交通が発達したので、そのようなことはないが、それでも高齢化社会になった雪国では除雪するだけでも大変だし、屋根の雪下ろしなどで毎年何人かの犠牲者さえ出ている。

 そう言った雪国の暮らしの大変なことは分かっているが、雪の少ない大阪に住んでいると、毎冬雪は待ち遠しいものである。炬燵に入りながら、窓の外の雪景色を眺めて一杯やるというのに郷愁のようなものを感じるのは私だけではないであろう。

 毎年雪が待ち遠しいのだが、近年はすっかり雪が減ってしまった感じである。最後に我が家で雪ダルマを作ったのは、アメリカの孫がまだ幼かった頃だから、もう二十年以上も前のことになる。池田では、それ以来まとまった積雪は皆無である。

 その後一度、何年か前に朝出かける時に、同じ通りの二、三軒隣の親子が、道路のアスファルトに僅かに積もった雪をかき集めて、玄関口に小さな雪だるまを作っているのを見かけたが、夕方帰宅時にはもうすっかり溶けてなかったことがあった。それもまだ勤めに出ていた頃だから、少なくとも数年以上も前のことであろう。

 それが最後で、それ以来、毎冬一回か二回ぐらい屋根や庭木がうっすらと白く覆われるぐらいのことがあるぐらいだけとなり、昨年などは一冬を通して、一度雪がちらついただけで、とうとう雪景色を見ないまま過ぎてしまった。

 雪国の人には全く申し訳ない話だが、雪のない台湾の人たちが北海道に憧れる気持ちがよくわかるような気がする。やっぱり冬には一度や二度は雪景色を見なくてはと思うのは、雪のない世界に住む人たちの共通した憧れではなかろうか。

 そうしたところへ今回の年末の雪情報である。テレビの雪予報の地図を見、解説を聞くと池田あたりは丁度降雪地域の境界線上である。明日の朝こそ窓を開ければ銀世界かと期待して眠り、朝早くこっそり窓を開けてみたが、やっぱり今度もがっかり、はずれだった。雪の痕跡もない。

 それでもまだ諦めはしない。冬はまだ始まったばかりである。2月ごろになれば、また寒波もやってくるだろう、その時まで夢はしまっておこう。暇な老人はそんなことに一喜一憂している次第である。

 

生野長屋大学

 昨年の暮れにヒョンなことから、生野区にある「長屋大学、ぽんぽこキャンパス」という所に連れて行って貰った。娘の関係で、誘われて出かけたのだが、それは生野区の今里や鶴橋、有名なコリアンタウンからも遠からぬ所にあり、古い長屋をリノベーションして、ミモザ食堂と称し、昼はカフェ、夜はバーとして営業しながら、大人も子供も共に学び楽しめる場所を作りたいという思いから、コミュニティ・スペースを提供している所である。

 2階はボードゲームで常時遊ぶことが出来るスペースになっているそうだが、店をレンタルスペースとしても使えるようにして、料理教室や種々の部活動、その他の会合などが行われているようで、ごく最近には、近所に恐竜に詳しい子がいて、その子が先生になって、子供も親も一緒になって恐竜教室を開いたらしい。

 オウナーの女性の話によると、子育てで孤立し、色々問題を抱えて悩んだのを教訓にして、色々な世代の人たちが一緒になって、共に学び、共に語り合えるような場所を作りたいと考えて始めたものだそうである。

 今回は、そこで、もう亡くなった人であるが、旧日本海軍の兵曹長で、ミッドウエイ海戦にも参加し、その後トラック島で餓死寸前となった人の戦争体験を語ったユーチューブの映像を皆で見て、その後、戦争について語りあおうという企画で、もう戦争の体験者が少なくなってしまった中で、たまたま私を見つけて、お誘いがかかったものであった。

 始めは遠い所だし、寒いので、遠慮させてもらおうかとも思ったが、戦争のことなら、やはり若い人に少しでも語り継ぐのが老人の義務かと思い、出席させて貰った。しかし、結果としては行って良かった。最近は若い世代の人たちと話す機会など殆どないので、違った世代の人たちの話を聞けただけでも成功だったと思う。

 ミッドウエイ海戦やトラック島での飢えとの戦など、知らなかったことも含まれており、改めて戦争のことを思い出したが、それより後のフリートーキングで、来ていた人たちの質問や私の思い出話、戦争や当時の日本の国の態度、現在の政治や社会の話、若い人たちの考えなど色々聞けて面白かった。二十五歳から九十三歳までの人たちの話で、取り留めもないことでも一緒に話し合うこと自体が有意義なことだと思われた。

 今や人々がバラバラになって、社会の結びつきが少なくなり、孤独死や独居老人などが社会問題化し、政府も相談窓口を作るなりの対策に乗り出し始めたようであるが、この長屋大学のような、誰もが気軽に立ちよることが出来、お互いに笑って帰れるような場所があちこちに出来れば、社会的にも随分有意義なことではなかろうかと思われる。

 今では隣近所の人たちとの交流さえ殆どなくなり、同じマンションの住民同士でも、お互いに顔も知らない、挨拶も交わさないような状態なので、何か災害や不時の出来事が起こっても有効な助け合いも進まないのではなかろうか。是非こういった人々を結びつける任意の場所があちこちに作られ、そこで気軽に話し、気軽に聞いたり教えたり出来ると良いであろう。

北摂にアルプスあったっけ?

 十二月の最初の日曜日だった。朝9時ごろに用事があって出たついでに、少し近くを散策して戻ろうとした時、駅の方から五月山へ行こうとする団体や個人がぼつぼつやって来るのに出会した。まだ秋の名残が残っているうちに最後の紅葉を楽しもうとしているのであろう。

 ところが驚かされたのは、出会う人たちの服装である。一人残らず登山に行く服装をして、登山靴を履き、リュックを背負い、ピッケルの先をのぞかせている人までいる。揃ってアルプスへでも登るつもりの「山ガール」の格好なのである。

 つい、「どこの山に登るつもりなのだろうか?」と思ってしまう。「北摂にアルプスのような山があったっけ?」皆が行くのであろう五月山は海抜315米に過ぎない。ハイキングコースも整備されていて、小学生の遠足などによく利用されている山である。 

 五月山はいわば池田のシンボルでもあり、桜のシーズンには多くの観光客で賑わうし、秋の紅葉も美しい。山の上には愛宕神社やゴルフ場、展望台などもあり、私などは今は歳をとり坂道の下りが怖いので避けているが、以前は我が家の続きのような積もりで、よく散歩がてらに登っていたものである。もちろん普通の普段着で行っていた。

 私にとっての登山といえば、日本では中部地方立山や、槍、剣、駒ヶ岳など若い時に登った山々のことが思い出される。戦後まだ日が浅かったせいもあるが、登山靴も満足になく、地下足袋で登ったことも思い出される。リュックも横幅の広いものしかなかったし。軍用の水筒を必ず持っていったものであった。

 今は何をするにも、先ずはそのための服装を整えることから始まるようである。商業主義に乗せられて、低い山であろうと、山へ行くなら先ずは山行きの服装から整えなければならない時代らしい。

 同じようなことは他の分野でも見られる。サイクリングをするならサイクリング専用の格好、ジョッギングするならジョギングの姿。テニスならテニス。サッカーならサッカーなどと、専用の服装が決まっていて、それを外れた服装では仲間に入れたもらえない感さえある。

 格好が良くて実際に利用している人たちが喜んでいるのだからそれで良いようなものだが、私に言わせれば、オリンピックならいざ知らず、素人がそこまで服装を整える必要があるのか、SDGsなどの見地からしても、傲慢な人間たちの資源の無駄遣いに繋がる行為であり、商業主義の歪んだ文明の姿を見さされる気がして嘆かざるを得ない。

ミロコマチコ展

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 先日京都の京セラ美術館へ二紀展を見に行った時に見つけたパンフレットで、「神戸ゆかりの美術館」でミロコマチコの「いきものたちはわたしのかがみ」という個展をやっていることを知り、パンフレットの写真が面白そうだったので、早速見に行ってきた。

 神戸ゆかりの美術館は六甲アイランドにあるので、梅田から阪神電車で魚崎まで行き、六甲ライナーに乗り換えて、久しぶりで海を越えて行ってきた。

 ミロコマチコという人については全く知らなかったが、1981年の大阪生まれで、東京で活躍していた絵本作家らしく、『オオカミがとぶひ』(2012年、イースト・プレス)で第18回日本絵本大賞を受賞した人だそうだが、絵本の世界ばかりでなく、絵画や音楽家とのコラボ、書籍の装画、アートディレクション、それに立体作品まで手掛け、かなり名も通った作家らしいが、今は奄美大島に住んでいるらしい。

 今回はその広範囲な活躍の総集編のような200展以上の展示であったが、絵本作家の像を遥かに超えた興味深い作品の数々であった。入り口の何台かの全面に動物や鳥の描かれたた押し車のようなものから始まり、いろいろな動物や昆虫などの描かれたものが多かったが、大画面いっぱいに描かれている動物たちが多く、それらがいずれも型を外れて、奔放にのびのびと描かれている。

本の表紙や商品の絵、長い巻物に描かれたようなものから、遊び心から作られたような装飾品のコーナーもあり、多才な若者の溢れるようなエネルギーを感じさせられ、遊び心も豊かで、多様なイマジネーションに満ちていた。一緒に行った女房と二紀展などより余程迫力があり面白いなあと語り合った次第であった。

 1981年生まれというから、まだ若く、将来を嘱望される作家ではなかろうかと思われた。遠い所を出かけただけの値打ちは十分あったと思われる。

 

 

 

 

 

国際的嫌がらせ

 米国は今冬に北京で行われる冬季オリンピックに政府関係者の派遣を止めるが、選手団は送ると決めたそうである。イギリスやカナダ、オーストラリアなどもそれに追随したらしいが、フランスは同調しないようである。

 新疆ウイグル地区での人権抑圧などに対する抗議のためらしいが、中国は否定していることであるし、政治的な思惑が絡むので、どこまでが事実かわからない。事実だったとしても、中国の国内問題であり、抗議はこれまでに既にしてきたことであり、オリンピックを政治に結びつけることは問題でもある。それに、政府関係者派遣は中止するが、選手は送るという中途半端なものであり、嫌がらせとしか考えられないような決定である。

 米国がこういう反応を見せるのは米国の問題だから兎角いうことではないかも知れないが、米国が決めたからと言って、日本までが何でもそれに従う必要はないのではなかろうか。韓国は中国との関係も重視して反対している。

 日本とアメリカでは対中関係は同じではない。日本でもウイグルの人権問題は取り上げられて来たが、それとオリンピックは別の問題であり、中国は日本の貿易総額の4分の1を占める最大に貿易相手国であるばかりでなく、3万社を超える日系企業もあり、約11万人の日本人もいる。尖閣問題などがあるにしても、現実に中国が日本に実質的な損害を与えているようなこともない。

 何と言っても、中国はすぐ隣の大国であり、歴史的な関係もどこよりも強く長いし、貿易額から言っても世界一であり、コロナ前のインバウンドだけ見ても、その関係の大きさがわかる。来年は日中国交回復50周年にもあたり、今や中国なしに日本の存在さえ考えられないぐらいの関係にある。

 それにもかかわらず、岸田首相は米国の発表があってから我が国の判断で決めると言いながら、結局は米国に追随して日本も政府関係者の派遣を取りやめ、JO Cの山下会長と橋本オリンピック委員長を送ることにしたらしい。中郷区の配慮ものぞかせて、アメリカに同調したことになる。

 米中関係が険悪になるにつけ、国民の中でも反中、嫌中の雰囲気が醸成されてきているようだが、どこまでアメリカに追随するつもりであろうか。遠いアメリカと違って、隣同士の日中の関係は歴史的にもアメリカよりもはるかに深く、この隣国を無視して将来の日本は考えられないのではなかろうか。先の大戦でも、あれだけ深く攻め入っても勝てなかった大国である。

 米中の関係が悪くなればなるほど、日本は毅然とした態度で、自己の立場を主張し、守っていかねば、将来的には日本はアメリカにも中国にも相手にされなくなり、昔言われた東洋の孤児ではなく、今度は世界の孤児にさえなりかねないであろう。

 日米安保条約地位協定による日本のアメリカに対する弱い立場はわかるが、それにしても、日本の将来を考えれば、政府はどこまでもアメリカ一辺倒の追随を止めて、極力中立を守り、アメリカと中国の中を取り持つぐらいの働きを考えるべきではなかろうか。

 世界は急速に変わりつつある。アメリカの嫌がらせに加担することなく、中立の態度を取るのが日本の国の将来のために最善の道だと思うがどうだろうか。

コロナ対策の抜け穴

 このブログの今年の一月十七日に、「コロナによる国境閉鎖の抜け穴」として、日本は島国なので、国境閉鎖も陸続きの国の多いヨーロッパと違って、やり易いのに、米軍基地を通しての、チェックなしの国境越えが問題だということを書いたが、最近それが現実の問題となっている。

 ニュースでも報じられたように、沖縄の米海兵隊基地「キャンプ・ハンセン」で、日本人従業員二人と、米国籍の軍属、その日本人の夫の計四人が、新型コロナのオミクロン株に感染していることが分かったのである。

 基地内ではクラスターが発生し、米兵ら百八十六人の感染が確認されている。ところが、それに対する米軍の対応がけしからん。ゲノム解析の機器がないとして調べようとせず、県が日本側で調べるために検体提供を求めると、個人情報の保護などを理由に拒否したそうである。

 米軍は「基地外の住民とは接触がない」と安全を強調するが、感染の分かった四人は現に基地外に住んでいたのだそうである。米兵らがルールを守らなかった事例はこれまでにも枚挙にいとまないぐらいあるのである。

 政府が水際対策の強化を掲げ、外国人の新規入国を原則停止しているが、米軍人は日米地位協定によって我が国の法律は適用されないので、米国から直接嘉手納基地に入り、日本の検疫を受けないまま県内を移動しているのである。米軍は入国前に検査で陰性を確認し、ワクチンも2回摂取していると言うが、隔離期間が取られていたかなど、政府すら確かめることが出来ないでいる。

 これは沖縄だけの問題ではなく、横須賀や山口、岩国など日本にある何処の米軍基地でも、基地内での感染拡大などの地元自治体への情報提供も十分でなく、基地周辺の住民の不安は増すばかりである。

 沖縄の基地負担軽減担当を兼ねる松野博一官房長官は「地元の不安解消に最大限努力する」というが、言葉ではなく、実効性のある行動で国民の生命・健康を守らなければ意味がない。

 やはりこうした米軍の勝手な行動を抑え、国民の命と健康を守るためには、米軍の横暴な行動を抑え、政府が対等な立場で米軍にものの言えるように、不平等の原因となっている日米地位協定を相互に平等な条約に変えなければ解決出来ないであろう。