覇権争いの「いじめ」

 アメリカでバイデン大統領が就任してから、中国に対する風当たりがいっそう強くなって行きそうである。

 先のトランプ大統領が中国に対して、貿易の不均衡を唱えて関税を引き上げたり、中国のIT企業に圧力をかけたりするのが、あまりにも強引だったりして、米中の関係が悪化していたので、大統領が変わって、少しは落ち着くのかとも期待されたが、バイデン大統領になってのまず初めの政策の実行が対中国戦略で、日本や韓国との2✖️2会談や、日本の首相を呼んでの対中強硬姿勢への同調を求めることなどであり、今後ますます対中関係の悪化が明らかになってきた。

 最近の新聞でもよく取り上げられるように、香港の民主化運動、ウイグルの人権問題に対する非難は、来年の北京オリンピックボイコットの話にまで広がり、日本、オーストラリア、ニュージーランドにインドまで巻き込んだ「クアッド」による中国封鎖構想が画策され、日本ではアメリカ指導のもとで、南西諸島の軍事力の増強、敵基地攻撃構想まで考えられている。

 国内の報道を見ていると、尖閣諸島に中国船が四六時中押し寄せ、日本のそれに対する対応としての南西諸島の軍備増強、アメリカの対中政策の強硬化も当たり前のように感じ、あまり違和感がないかも知れないが、香港やウイグルなどの中国に関する報道は多分に一方的なものだし、台湾問題にしても、アメリカも日本も、今なお中国との間で「一つの中国」の約束を守ったままなのである。

 いろいろ中国にも国内問題はあるものの、現在、中国が世界や近隣諸国にとって、軍事的な脅威になるような事実が何処にもあるわけでないことにも注目しておくべきであろう。尖閣諸島の問題が大きく報道されているが、尖閣諸島の帰属は野田内閣まで、お互いに不問のまま凍結されていた歴史があるで所で、その大きさや地理的条件を考えれば、隣国間の国境争いの範囲内の問題であって、到底一戦を交えなければならないような問題ではありえない。

 東シナ海南シナ海の問題にしても、話し合いで十分解決の出来る範囲の問題である。客観的に見て現在中国がアジアにおける軍事的な脅威を引き起こしていると言えるような兆候はどこにもない。中国が発展し、その存在が大きくなったことだけである。

 それにもかかわらず、現在アメリカなどが、「クワッド」などを作ってまで、中国に圧力を加えようとしているのは、近年の中国の経済的躍進が著しく、それによってアメリカの既得権益が脅かされるのではないかという恐れからとしか考えようがない。言わば、それまでは刃向かう者もいなかったガキ大将のアメリカが、最近力をつけてきた余所者の中国に自分の立場を奪われるのではないかと恐れ、今の内に叩いてやっつけておかねばと言うのに似ている。覇権争いの「いじめ(Hegemonic  Bulling)」である。

 そんな争いに日本が巻き込まれることはない。いくら日本がアメリカの子分だからといっても、中国は昔から日本のすぐ隣国で、大昔から最も関係の深い国であり、今や経済的な結びつきはどの国とよりも大きい。もはや、巨大となった中国との関係なしには、日本は経済的に成り立たない関係になっている。

 日本がそんなアメリカの「いじめ」に加担して、自国の利益を棒に振ってまで、アメリカに同調する必要は何処にもない。自分の命取りにもなりかねない。ここらで真の独立を果たし、中立の立場をとることが将来の希望につながる道であることを理解するべきである。

ホームの白線と視力障害者用ブロック

 昔は何処の駅のホームでもアナウンスで「電車が来ます。危ないですから白線の内側へお下がり下さい」と放送されていたものである。「内側」だったら、電車の入り口に近い方と言う風に取る人もいるかも知れない。「白線より後ろへお下りください」といった方が良いのではないかなどと話したことがあったことも思い出した。

 しかし、いつ頃からか、大抵のホームでは、白線に沿ってそのすぐ内側に、視覚障害者用の黄色いブロックが敷かれ、やがて、多くのホームから白線がなくなり、黄色いブロックだけになった。駅のアナウンスも「電車が来ます。危ないですから、ホームの中寄りにお下りください」と言うことが多くなったようだが、中には、「黄色い線より後ろへお下りください」と言うところもあるようである。

 私は視力障害者用のブロックが出来た時に、こんなホームの端を目の悪い人に歩かせては危険ではないかと思い、当時どこかに投書したこともあったが、未だに、何処もそのままで、黄色いブロックがまるで白線の代わりに安全地帯と危険地帯の境界線のようになっている。

 目の悪い人たちの安全のためなのだから、安全と危険の境界線を歩かせるようなことは言語道断である。黄色いブロックを敷くのだったらもっとホームの中程に引いて、そこから所々に乗車口へ向かう支線を引くなりして、安全に視覚障碍者を誘導すべきではなかろうかと今でも考えている。

 その方が複雑になるので、ホームの混雑など人の動きからは、実用化の点では劣るかも知れないが、安全第一を優先すべきであろうから、やはり視覚障害者用の黄色いブロックの線をホームの端に引くことには反対である。ブロックの上はデコボコがあって歩き難いし、ふらつき易い。目の悪い老人が杖を頼りにそのブロックを頼りに歩いているのを見ると、本人がどう感じているのか分からないが、傍目には、やはり危なっかしい感じがして、ホームから落っこちないか心配になる。

 現実にも、視覚障害者のホームからの転落事故は時々あり、新聞によれば、統計を取り始めた2010年度から10年間で、視覚障害者がホームから落ちたり、電車と接触したりした事故が749件あり、うち17件が死亡事故だったそうである。中には、失明した研究者で、自らが最初の被験者としてして、視覚障害者の移動を研究していた人がホームからの転落事故で亡くなられたという痛ましい事故もあったようである。

 こういう不幸な例を断つために、最近は多くの駅でホームドアの設置も進んでいるが、費用がかかるので、なかなか普及せず、20年3月現在で、まだ約9%しか進んでいないと言うことらしい。ホームドアがあれば安全であるが、それが普遍的になるまでは、やはりホームの黄色いブロックの線はホームの端から撤去して、もっと視覚障害者が安全に歩ける場所へ、貼り変えるべきだと思うがどうであろうか。

 

 

 

今の日本で餓死する人がいる

 先日新聞を読んでいて衝撃を受けた。コロナの感染状況が発表される中、コロナの影響で失業して貧困の陥っている人たちや、アルバイトが出来なくなって学校を辞めなければならなくなった学生のことなどが報じられている。また、世界中で所得格差がひどくなって、たった1%の大金持ちの財産が残り99%の人たちの財産と同じだなどと言った情報も流されている。しかし、まさかこの今の日本で、餓死して死ぬ人がいるとは想像出来なかったので驚いた。こんな悲しいことがあって良いのであろうか。

 新聞によれば、昨年9月大阪の高石市で、高齢女性が困窮の末に、餓死したと言うことである。同居していた49歳の息子も弱っていたところを保護され、「自分と母には戸籍がなく、市などに相談出来なかった」と打ち明けたそうである。

 実は、女性は長崎出身の78歳で、戦争孤児で、戸籍も不明のまま育ち、内縁の夫と暮らしていたが、夫が5年前に死亡し、息子と共に遺産を生活費に当てて暮らしていたが、次第に困窮していったということである。

 息子も無戸籍だったので、学校や仕事などをどうしていたかは記載がないので分からないが、弱っているところを保護されたと言うから、世間の人並みの生活は出来ず、母親と一緒に家にいたのではなかろうか。家の近くの人は誰も母子が無戸籍だと言うことは知らなかったようである。

 過去に高石市への相談はなかったそうで、夫が所有していた家は「無人」扱いで、上下水道料金は市が徴収していたが、市では実態を把握しておらず、おそらく相談すれば、家を退去させられるかも知れず、隠れるように暮らし、相談体制にも乗らず、生活保護も受けていなかったのではなかろか。

 今でもこのような深い戦争の傷跡を背負ったまま、社会にうまく適応も出来ず、誰の助けも借りずに、孤立してひっそりと一生を過ごさざるをえなかった不幸な人が居られたことを改めて認識し、我々社会は心を尽くして反省すべきであろう。

 無戸籍者は全国で約1万人とも指摘されているそうである。今の日本で同時代を生きている人に餓死者が出るなど、この社会の恥である。何とか無戸籍の人に直接会って、救いの手を差し延べられなかったものか、亡くなられた人のご冥福をお祈りすると共に、社会は大いに反省し、将来の教訓とすべきである。

 あまりにも、我々の日常生活とかけ離れたことが、現実にあったことに驚くと共に、未だに、社会の片隅には戦争の傷跡が残っていることに深い痛みと苦しみを感じた次第である。

菅首相の訪米

 4月16日菅首相は訪米して、ホワイトハウスでバイデン大統領と会談した。大統領が就任してから初めての外国首脳との対面の会談で、日本が重視されている印だなどと盛んに喧伝されていたが、往復14時間もかかって飛んで行って、一対一の会談はたったの20分だけで、日本側は夕食会を望んだが、それも断られ、20分の対面の時にハンバーガーが出されただけで、手もつけられなかったということである。

 菅首相を乗せた飛行機はアメリカの空軍基地につき、随行員も首相官邸のスタッフだけで、会談も短時間ですみ、何だか呼びつけられて、馳せ参じたと言うような印象を拭いきれない。

 その上で、アメリカの中国の覇権主義に反対し、ウイグルや香港の人権問題を非難し、台湾の問題にも触れ、日本独自の考えを強くは主張する事も出来ず、すっかりアメリカの政策に乗せられた印象である。

 中国は言うまでもなく、人口14億の隣の大国で、近年の躍進も素晴らしく、GDPも今や日本の3倍近くもあり、経済的には最大の貿易相手国でもある。最早、中国なしには日本の経済が成り行かない隣国になっているのである。当然、日本はアメリカとは違った、日本独自の中国に対する利害関係があり、台湾についても、台湾が中国の一部であることを認めてきているのである。

 アメリカは中国の躍進が、自らの覇権をも揺るがしかねない恐れを感じ、クワッドと言われる日本、オーストラリア、ニュージーランドにインドまで加えて、対中包囲網を形成しようと画策しているのだが、日本は中国とも仲良くしないとやっていけないことも知っておくべきであろう。

 それにもかかわらず、今回の日米共同声明などを見ると、どうも全てアメリカに同調させられ、中国に反対する危険を冒してしまった恐れが強い。すでに危険なルビコン川を渡ってしまったと言う人もいる。

 アメリカはアジアにおける前線基地として日本を利用したいのであり、それに取り込まれてしまうと、アメリカの前衛部隊として利用されることになりかねない。いざと言う時には、アメリカの手下の同盟国として、最前線で戦わされることとなり、不利とあらば、米軍は前線基地は放棄出来ても、日本はとことん犠牲にされかねない。太平洋戦争時のフイリピンを思い出すと良いであろう。

 現時点で、危険を冒してまで日本が中国と戦わなければならない必然性は何もない。それより友好関係を進め、経済的な利益をうる方が比較にならない優れた選択肢である。日本はここで、はっきり中立的な立場を確立して、米国の覇権闘争からは一歩離れておくべきである。日本の未来の発展のために、ここが正念場である。そう考えると、今回の菅首相の訪米外交はあまりにも情けない。ここらで日本も真剣に将来を考えるべきであろう。

 序でに言えば、今回の首相の訪米によって、コロナワクチンについて菅氏はファイザー社のCEOへの電話の結果、九月までには全てのワクチンが調達できる目処がついたと言ったが、どうもファイザー側は「日本政府と緊密に連絡してやっていく」と言うだけで、何も確約されたわけではないらしい。すぐ後から、下村政調会会長がワクチンは来年までかかると言い、後の記者会見で首相は質問に答えなかったなど、どうも確約があったのではなさそうである。

 コロナ対策といい、外交政策といい、菅首相には荷が重すぎるのではないかと疑われることばかりである。

 

 

アラスカでの米中対話

 アメリカでバイデン政権が出来て、先月にはアメリカの軍部と外交のトップが 日本と韓国を訪れ、それぞれ2+2の会談が行われ、その後中国へは行かず、米中から等距離ということでアラスカのアンカレッジで米中会談 行われた。

 その会議の内容は外観だけしか分からないが、興味深かった。アメリカが中国の民主主義、新疆ウイグルのジェノサイド、香港の民主化デモの弾圧などのついて非難したのに対して、中国側がアメリカに対し、「アメリカの価値観だけが絶対ではない、対等な立場で話し合うべきであり、上からの目線で言うな。記者を追い払う必要はない。アラスカまで呼んでおいて失礼じゃないか」などと強く抗議した様子がテレビにも映っていた。いつも世界の指導者の如く振る舞ってきたアメリカの代表に対して、対等の立場で堂々とやり合ったのを見て、多くの日本人は密かに声援を送ったのではなかろうか。

 内容はともかく、日米のやりとりがあまりにも情けないからである。ごく最近の出来事でも東京都内での米軍のヘリコプターの低空飛行で、都民からも安全上の問題があがっているのに、政府は米軍に抗議さえしていない。同じ敗戦国でも、ドイツやイタリアでは駐留米軍にも国内法を守らせているのに、日本政府は米軍の行為を黙認しているだけである。同様な問題は岩国基地に関しても、四国の米軍訓練ルートについても言われる。

 沖縄についてはもっとひどく、選挙を通じてもはっきり民意が示され、県民挙げての執拗な反対にさえ聞く耳持たずで、全てを無視して基地の整備が強引に続けられるなど、日本政府のアメリカに対する姿勢はあまりにも卑屈で情けない。国民の切実な要望を聞くより、アメリカの言いなりで、あまりにも情けない。

 未だに日本はアメリカの実質的な植民地も同様で、米国との実際的な関係は地位協定によって、在日アメリカ軍と日本政府の定期的な会合によって、全て決められることになっているようである。アメリカの軍隊によって支配されていると言っても良いのかも。

 この度の菅総理アメリカ訪問も、アメリカの空軍基地を経ての入国で、共同宣言でも中国を念頭において台湾海峡問題に言及するなど、アメリカの対中戦略にすっかり取り込まれてしまっている。日本にとって中国は最大に貿易相手国である隣国で、台湾が中国の一部であることを認めてきた事実もあり、米中関係とは異なった日中関係や日本の利益があるのである。

 日本は隣の16億人からの人口を抱える大国となった中国なしには生きて行けないことを知るべきである。中国との間に戦争しなければならないような矛盾があるわけでない。十分平和的に共存していける関係のある中で、アメリカの中国の躍進を阻みたい戦略に全面的に応じなければならない必然性は何もない。米中両側から独立した中立の立場を明らかにすることが将来の日本にとって不可欠なことではなかろうか。

 このままズルズルとアメリカの言うなりになっていては日本の将来はない。ここらで真の独立に向けて踏み出さねばならないのではなかろうか。それにしては今の日本政府はあまりにも情けない。

 

りんごと地球

 私が子供の頃、父が住友銀行に勤めていた。当時は三菱、三井、住友が三大財閥と言われており、国内の富の多くを握っており、日本はまだ農業国で貧しく、東北などでは、冷害や経済的不況などの時には、小作人は娘を売らなければ食えないような時代であった。

 一方で、封建的な身分社会はなお続き、財閥は殿様のようなもので、新年には、住友一族の会社の幹部は住友家に新年の奉賀に参集するのがしきたりのような時代であった。

 そんな時代の中で、何かの機会に、子供たちが我が家の財産について尋ねた時の母親の説明を今でも覚えている。うちにあるお金や貯金などを全部合わせた財産がリンゴの大きさだとすると、住友さんの財産は地球の大きさ位だと教えてくれた。りんごの大きさはすぐ分わかったが、地球がりんご同様丸いことは知っていても、自分らが住んでいる地球の大きさについては実感がなく、ただとてつもなく大きいと言う感じだった。

 勿論単なる比喩に過ぎなかったわけであるが、実際にも、りんごの体積が大きいものでも精々500ccぐらいなのに対して、地球は1兆833億1978万 km3と言われ、比較の対象にもならないことは言うまでもない。当時も日本での格差は酷かったものである。

  こういった資産の格差は第二次世界大戦を経て、戦後は多少小さくなっていたが、1970年を過ぎてから再び拡大し、今や世界中で問題となっていることは周知の通りである。

「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」大ざっぱに言えば、1台の大型バスに収まる程度の金持ちが、世界の人口の半数を養える額、約180兆円を持っていると言われ、りんごと地球以上の格差で、庶民にとっては気の遠くなるような話である。

 現在、世界の総資産額ランキングのトップは、マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏の約9兆1000億円。以下、メキシコの通信王カルロス・スリム氏の8兆9000億円、投資家ウォーレン・バフェット氏の8兆3000億円……という具合に続く、と書かれていたが、今では少し変わって1位はジェフ・ペソス。2位がビル・ゲイツ、3位フランスのベルナール・アルノー一族、4位がパフェットだとか。

 日本のトップではユニクロ柳井正社長がトップで、資産総額約2兆3000億円であり、世界的には第41位、日本人ではただひとり、「金持ちバス」の乗客名簿に名を連ねているとか言われているらしい。

 誰がどれだけお金を持っていようと、我々庶民にとっては関係のないことだが、今でも多くの人たちが貧困に喘ぎ、その日の生活にも困っているというのに、一方では想像もつかないような金持ちがいるという不平等な世界の現実には誰しも腹が立つであろう。

 同時代を生きる同じ人間でありながらのこの違いが、それぞれの人の持って生まれた素質や努力の賜物だというには、余りにも格差が大き過ぎることは今や誰の目にも明らかであろう。

 平等を無視した「自由な民主主義」は必ずやいつの日か破綻せざるを得ないであろう。 

 

 

 

原発の汚染水の海洋放出は風評被害だけではない

 政府は東日本大震災による原発事故以来、長年問題になって来た、福島の原発からの汚染水の処理を、現地の漁業者との約束を反故にして、海洋放出とすることを正式に決めた。当然風評被害を恐れる漁民をはじめとする地域住民たちの反対の声は強い。

 菅義偉首相は会議で「処分は廃炉を進めるのに避けては通れない課題だ。政府が前面に立って安全性を確保し、風評の払拭にあらゆる政策を行なって行く」と述べているが、これは単に風評被害の問題だけではない。

  政府はALPSで処理したトリチウム水だと言っているが、ALPS処理はうまくいかず、2018年8月にストロンチウム90、沃素129、ルテニウム106、テクネチウム99、など基準値を超えていたことが報道されており、その後にAIPSが改善されたとしても、政府の言うようにトリチウムだけを含んだ無害な水だとは言い切れない。トリチウム水と言うより放射性物質に汚染された排水と考えなければならないであろう。

 それにトリチウム自体が全く無害なものとも言えない。トリチウムは水素の同位元素であるから、体内に取り込まれた場合、水素と入れ替わりうるし、水素をヘリウムに変えるとも言われる。体に取り込まれて遺伝子のDNAやRNAの異常をきたす可能性さえ考えられる。

 元々トリチウムは希少なものであり、現在存在するトリチウムの多くは世界の原発から放出されたものや原爆実験によって作られたもので、それらが如何なる作用を呈するか詳しいことは未知の分野である。もちろん、他の希少放射性元素についても同様である。

 他所の国も放出しているから、日本も放出しても問題がないと言う意見もあるが、他人がゴミを海に捨てているからこちらもゴミを捨てても良いと言う理屈は通らない。それに、日本の汚染水放出は今後もいつまで続くかわからない。海は世界の共通財産であり、人類が皆で大切にしていかなければならないものである。

 最近プラスチックゴミによる海洋汚染が問題になったいるが、プラスチックのような化学的に安定したものでさえ、大きく蓄積されると、流石の海洋の巨大な量による希釈効果でさえ支え切れなくなっているのである。

 ましてや放射線を出し他物質とも反応し易いものの集積は、たとえ個々のケースが少量であっても、蓄積総量が多くなれば、海洋の汚染、ひいては将来の人類の生存にも種々の影響を与えうることも考えておかなければならない。トリチウム半減期は12.3年、無視出来る濃度にまで下がるには120年かかるそうである。

 福島の原発事故は明らかに人災である。放射性汚染水の海洋放出は単に地域の住民の風評被害にとどまらず、グローバル・コモンズへの将来にわたる影響を最小限にとどめるべく考慮して、責任を持って慎重に処理することが、我が国の世界に対する義務である。単に地域住民への風評被害の払拭だけが問題ではないことは明らかである。

 タンクがいっぱいになるからと言っても、増設の方法も考えられるであろうし、トリチウムの分離もアメリカでは行われているとか、モルタルで固化する保存法もあるとかも言われている。安易に海洋放出を考えるより、他の方法も究め、他国とも相談して地球環境を守るべきであろう。

  子や孫の時代の人類に汚れた地球を残したくはない。