スポーツジム

 時々西宮北口の兵庫芸術文化センター(PAC)の音楽ホールへ行くことがあるが、北口の駅からホールへ行くブリッジの通路の横に、大きなスポーツジムがある。ガラス張りのジムなので、広いガラスの向こうで、こちらを向いて並んで、多くの人が一斉にマシーンに乗って、トレーニングをしている姿が目に入る。

 通路に面してトレッドミルが何十台も並んでおり、大抵、多くの人がこちらに向かって機械の上で走っているのが、ガラス越しに見える。その周りを壁に沿ってランニング用のコースがあるのか、時に部屋の外縁に沿って、一生懸命走っている人の姿も見られる。

 いつもそこを通るたびに、トレッドミルで走っている姿を見ると、昔、子供の頃によく見た、リスが滑車に乗って、それを際限もなく、一心に回していた姿を思い出さずにはいられない。

 同じ走るなら、何もリスの真似などしなくても、気持ちの良い公園にでも行って、オープンな空間の中で、良い空気を吸いながら思う存分走った方が、ずっと気持ちが良いだろうと思うのだが、今の時代の現役世代は、中々そうもいかないらしい。

 毎日の過密なスケジュールをこなしていくには、朝から夜遅くまで仕事があるし、客の接待で飲み食いの時間も多い。一日中、事務所の中にいては、体を動かす機会も少ない。歩けるのは通勤や社内での移動ぐらいで、その歩数も限られる。

 健康のために運動しなければと判っていても、体を動かす機会を作ることは少ない。そのような中で、時間を作って効率的に運動をするためには、スポーツジムへ行くのが一番効率的なのかも知れない。そういう風潮を商業主義が煽り、それに乗せられた文化が作られ、一層人々をスポーツジムへ向かわせることとなる。

 平素運動をする機会がないので、ここへ来ることが健康法だという信念が出来ることになる。そうなると中には、車でジムへ来て、運動をして、そそくさと、また車で帰るという人さえ出て来る。自然を奪われた都会人の、人工的な生活の一環とでも言えようか。

 スポーツジムの効用を否定する積りはない。定量的に運動を測定することも出来る。どれだけ運動をしたか、効果が上がったかなども判る。それを知って安心できる部分もあるであろう。

 ただし、体を動かすことの好きな人には良いが、公園で走るのと違って、お金がかかるし、忙しいので長続きしにくく、三日坊主で止めてしまう人も多いらしい。ただ、こういったジムは月払い、年払いの前金制度をとっているところが多いので、払ったお金がもったいないというのが、多くの人が何とか続けていける理由だとかとも言われている。

 仕事に振り回されて、運動をする機会を奪われた、サラリーマン達の弱みに付け込んだ商業主義が、運動産業を押し付けて、スポーツジムが繁盛する姿を見ていると、これが本来の人間の生活の進むべき方向なのかと、ふと疑問が湧いてくるのを止めようがない。