論語の碑

 「子曰く、学びて時に之を習う。亦た悦しからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず。亦た君子ならずや。」

 私も中学校の時に習った論語の一節であるが、この一文の日本語を刻んだ碑が、いつの頃からか、箕面の滝道の瀧安寺の北の、山本珈琲店の手前の橋を渡った左手にある。どこかの会社の研修所か何かになっている施設の入り口前の広場である。

 何年か前に、韓国から我が家にやって来た夫婦を箕面に案内した時に、偶然、この碑のあることに気がついたのだが、それを見た時、男の方が懐かしそうに、その日本語の碑文を韓国語ですらすらと読むのでびっくりしたことがあった。韓国でも、高校では漢字を習うそうで、孔子論語も学んだそうである。従って孔子と最後に書いてあるのが判ると、日本語であっても漢字交じりなので、すぐに読めるということであった。

 ところが、今度は中国人である。つい先日、もうそろそろ紅葉も見頃かなと思って、また箕面へ行った時のことである。脇道へ少し入った所で中国人の夫妻に会い、向こうが覚えたてのような日本語で「おはようございます」と言うので「ニーハオ」と答えて、お互いに、にっこり微笑んだが、そこが、丁度この孔子の碑の近くだったので、興味があるかも知れないと思って教えたら、その前まで来た夫婦がそろって、スラスラと中国語で論語を読んだ。日本語であろうと、漢字は彼らの方がお手の物だし、中国でも、孔子学院を世界中に広めようとしているぐらいだから、当然論語も習っているのであろう。

 言葉が通じないにで、詳しい話は出来なかったが、先年の韓国人夫妻の件を思い出して、なるほど日中韓は同じ文化圏にあるのだなということを、つくづく感じさせられた。現在は政治的には、日中韓は色々問題をはらんでいるが、論語が2500年も昔の教えで、それを今も共有している文化の共通性を考えれば、日米同盟や近世からのアメリカやヨーロッパの文化との結びつきより、この長年代にわたる三国の文化の底流に流れる共通性の方がはるかに強く根を張っていることがわかる。

 幸い、中国や韓国の発展が見られるようになったので、今後は、この近隣の三国がお互いに交流を深め、お互いに文化を共有していくことが、アジアの発展のみならず、人類の発展にも繋がるものと思えてならない。ひょんなことで、箕面孔子論語の碑が、日中韓の連帯を強く感じさせてくれたのであった。