真鶴半島

 真鶴といっても、大阪駅の切符の窓口の係りの人が読み方を知らなかったぐらいだから、関西の人にはあまり馴染みがない場所のようだが、熱海や湯河原の伊豆半島の東の付け根が、相模湾に続く所に飛び出した細長い小さな半島で、その根っこにJR真鶴駅があり、そこからバスで半島の先まで行けるようになっている。

 そこに町立の中川一政美術館があり、ずっと以前から機会があったら一度訪れてみたいと思いながら時が経ってしまっていた。この画家は明治生まれで、梅原龍三郎岸田劉生などとほぼ同時代の人で、97歳で1991年に亡くなっているが、生前からあちこちでその作品を見る機会があり、気に入っていた画家の中の一人であった。

 この画家が気に入って、天井のないアトリエと言って、長期間滞在して絵を描いていたのが、この真鶴半島の海岸で、彼の作品の中で、一番よく目に付く薔薇に次いで多いのが、この真鶴海岸での作品と、ここから移った後の、箱根の駒ヶ岳の風景画である。それを記念して、ここに生前に名前を冠した町立の美術館が建てられたのだそうである。

 美術館の建物も岬の高所に建てられており、なかなかユニークな構造で、行かなかったが、そこから海岸辺りに降りれば、アトリエに使っていた突堤にも行けるようになっていた。絵画の収集も多く、久しぶりで見るこの画家の絵も良かったが、この人は明治の人らしく書も中々達者で、その他にも陶芸や著述などもされていたようであった。

 ここでゆっくり鑑賞した後、ここへ来た序でに、ぜひ寄ってみたい所があった。この美術館についてインターネットでいろいろ調べている時に、偶然、「堀田 高 洋画館」というのが近くにあることを知り、面白そうな絵が並んでいるのを見て、そこへも立ち寄ろうと思っていた。

 幸い適当な時刻に、その近くまで行くコミュニティバスがあったので簡単に行くことが出来た。どんな所かわからなかったが、武蔵野美術大学を出た画家で、パリや南仏のカーニュに滞在し、そこで三岸節子などからも影響を受けた人らしい。2009年に帰国後、ここを見つけ、風景がカーニュに似ており、フランスでの家に大きなミモザの木があったが、ここにも大きなミモザがあった偶然に一致などが気に入って、購入して住処とし、描き貯められた作品を展示するために、洋画館を開いたのだそうだが、2年で亡くなり、あと奥さんが引き継いで維持されているということであった。

 カーニュの印象と似ていると言われただけあって、半島の丘の上に建ち、広い庭と広い海をふんだんに眺められる絶好の立地条件で、ミモザは枯れて無くなっていたが、突然の訪問にも関わらず、奥さんに歓待され、茶菓子までご馳走になり、広々とした気持ちの良い場所で沢山の絵にも囲まれ、最高のひと時を過ごすことが出来た。

 遺作は三岸節子の影響を受けたと言われる如く、彼女を思い出させるような花の作品が多かったが、フランスでの風景画もあり、この方の好みの画風も感じられた。私にはミモザの小品が三岸節子も思い出し、一番良かった。

 ただ奥さんの親切な接待を受けながら、折角このような素敵な場所を得ながら、この洋画館を開いてたった2年で他界された画家が何となく哀れな気がしてならなかった。