ついでがしんどい

 若い時は朝から晩まで仕事をして、帰りにまた寄り道をするなどということがあってもあまり苦にもならないのが普通だったが、年を取ってくるとそうはいかなくなる。仕事で疲れた後などは、なるべく真っ直ぐにに家へ帰ることが多くなる。それでも、仕事を辞めて、家にいる機会が増えても、何処かへ出かけたりすると、折角来たのだからと、序でにあちこち寄り道して、色々な用事を済ませようとすることが多いものである。

 私も、年を取ってからでも、ケチで欲張りなこともあって、何かの用事か、会合で大阪市内へでも出かけた時には、やはり序でに何処かに寄ったり、デパートで買い物をしたり、本屋やギャラリーを覗いたりするのが普通であった。

 しかし、90歳を過ぎた今年の春頃からだろううか、メインの用事を済ませたら、序でに行けばよい所があっても、何か大儀でしんどい感じがするようになって、もう寄り道しないで真っ直ぐ帰ろうかということが多くなってきた。立ち寄るとしても駅の本屋さんを覗くぐらいのことになった。

 そうすると、新聞やSNSなどで見て、機会があったら一度覗いて見たらというやうな所があっても、つい行かないままになってしまうことが多くなる。どうしても行きたい所へは、そこを目的として出直すことになるから良いが、序でに覗いてみてはというような所へは、つい行きそびれてしまうことになりがちである。

 こうした結果が年寄りの世界を次第に狭めていくことに繋がっているのではなかろうか。なるべく途中で休んででも、成る可く序での所も訪れることにしたいものである。諦めが好奇心を狭ばめて行くことに繋がることが一番怖い。