日本選手の多様性

 最近はどこへ言っても外国人を多く見かける様になった。日本人と結婚している外国人も多くなったし、日本に出稼ぎに来ている人、日本に定住する様になった人たちもいる。それにその子供や孫たちもいるし、日本に生まれた外国にルーツを持つ人たちも増えた。

 そんなわけで、日本人と言っても、昔よりバラツキが大きくなり、色々多様な人を見かける様になった。テレビを見ても、外国人風のタレントも多くなったし、スポーツ選手などでも、色々なルーツを持った日本人の選手が増え、色々な分野でのそれらの人々活躍が報道される様になった。

 陸上競技など、日本人の体格から従来は短距離競技などあまり期待出来なかったが、今ではサニブラウン選手の様に10秒を切る選手がいるし、八村選手の様な長身のバスケットボール選手もいる。テニスでも大坂なおみ選手が有名である。

 チーム競技となると、サッカーなどには外国にルーツを持つ選手はさらに多数いるし、今世界選手権が争われているラグビーなどは、日本代表チームといっても、31人中15人までが外国出身の選手なのである。(出身地はトンガとニュージーランドが各5人、南アフリカが2人、韓国、オーストラリア、サモアから1人ずつ)

 ラグビーの場合は、日本国籍がなくても、本人が日本で生まれたか、両親・祖父母のうち1人が日本で生まれたか、3年連続、もしくは通算10年日本に居住しているか、この3つのうちどれかひとつの条件を満たせば、日本代表チームに選出される資格を持つことになるのだそうである。

 こういう多様性を持ったチームだからこそ、アイルランドを破り、サモアにも勝って、スコットランドまで破って快進撃をなし遂げたと言えるのではないだろうか。半世紀前頃までの日本人だけのチームでは、いくら技術が優れていても、体力的に競技でこれだけの成果を上げる事は出来なかったのではなかろうか。

 スポーツでこれだけ多様性が優れた結果を出していることを見れば、他の分野でも、色々なルーツを持った人々が集まれば、当然色々な優れた業績が現れるであろうことは想像に難くない。

 少子高齢化で、人口減が進む日本の今後を考えれば、外国からの移民を受け入れることも必要だし、外国との交流を盛んにして日本人の多様性を高めることが大切であろうと思われる。

 アメリカが種々の面で先進的な文化を形成出来たのも、世界中からの移民を受け入れて、国民の多様性があったればこそであるし、日本人の祖先も弥生時代などに、半島や大陸からの多数の人々が渡って来て、混じり合い、多様な人々の集団を作ればこそ、豊かな文化が育まれたのではなかろうか。

 国粋主義者などがよく言う日本古来のとか、独特のとか言っても、その元は色々な渡来人の混血なのである。島国にだけしか通用しない文化に小さく固まってしまっていては、この国の将来はガラパコスに向かうだけであろう。

 外国人を受け入れるのにもっと鷹揚でなければならない。当然文化の違いはトラブルを起こし易い。ヨーロッパで見るごとく、移民は多くの問題を起こすであろう。しかし、それを乗り越えた先に、大きな展望が開けることを期待すべきであろう。

 ラグビー選手を日向の大御神社に連れて行って、さざれ石を見学させて君が代を歌うような、まるで戦中の同化政策のようなことをするのでなく、日本の文化とともに、ニュージーランドやトンガの文化も一緒に学ぶことが大事ではなかろうか。

 スポーツ選手に対しても、人種偏見は強いもので、「差別するつもりはないけれど、A選手は『ハーフだから』応援したくない。純日本人のB選手を応援する」というような声が聞かれることが多い。かっこ内が、「ガイジンだから」、「黒人だから」に変わることもある。勝てば日本人、負ければガイジンや黒人になりやすい。

 これは外国でも同様らしく、トルコ系のドイツ人の選手が「勝った時にはドイツ人、負けた時はトルコ人と言われる」とか、コンゴ系のベルギー人の選手も「試合の結果が伴わなかったりすると、『コンゴ出身のベルギー選手』と呼ぶんだ」と言っている。

 日本代表のキャプテンを務めるリーチ・マイケル選手が、こんなことを言っているそうだが、これこそ聞くべき言葉ではなかろうか。

「これからの日本は、外国から来た人たちと一緒に社会をつくっていかなきゃいけない。ラグビー日本代表は、日本の社会に対して、いいモデルをつくれるんじゃないか。いいメッセージを発信できるんじゃないかと思うんです」と。

 外国の血を引く選手が多くなって強くなった日本ラグビーチームは今度は南アフリカには負けたものの、世界の8強に入ったことになる。今後も健闘を祈りたいものである。