映画「天気の子」

 2〜3年前、国民的ヒットとも言われた「君の名は」という映画を作った新海誠監督が新しく作った「天気の子」という映画が、また評判だというので、見に行ってきた。

「君の名は」は見に行きたいと思いながらとうとう見る機会がなかったし、この監督の他の映画も見たことがないので、この「天気の子」だけの印象しか分からないが、アニメ映画も発達したものである。

 京都アニメーションの事件で、アニメ映画というものが、大勢の人が関与する一つの企業のようなものだとの印象が強いが、「天気の子」を見ても驚かされるのは、話のストーリーや、そこから受ける感動などを別にしても、多くの人の緻密な共同作品であることに驚かされる。

 映像がいわば一枚一枚の絵の繋がりで、それに音楽と絵の動きをぴったりと同調させるだけでも大変なのに、それの集大成に意味を持たせ、見る人の心にまで話しかけようというのは、素人から見ても大変な作業のように思われる。

 映像だけにしても、昔のミッキーマウスのような時代のアニメと違って、風景までもアナローグな現実に近い緻密さで、細かい情緒まで表そうとしており、それに音楽がまたぴったりと一致して、それが一つのストーリーを作って観客の情緒までくすぐろうというのは立派なものだとしか言いようがない。

 話の大筋は他愛もない作り話であるが、それに夢を持たせたり、見る人に解釈を委ねたりしながら、一体となった映像と音楽が見る人を異次元に連れて行ってくれるのがアニメ映画なのであろう。

「天気の子」でいえば、エンディングが少し長すぎるような感じもあったが、ハッピーエンドにしないで、観客に想像させるようにしたのがよかったのではなかろうか。

 アメリカなどのアニメとはまた違った繊細な情緒的表現の豊かな日本のアニメの将来が楽しみである。