便利なようで恐ろしい

 スマホを見ると熱中症情報が出ていた。私の住んでいる池田市の注意情報が出ていたが、そのすぐ下を見ると大阪市東住吉区も出ている。姉の住んでいる所である。それから他の所はどうかと見ると、他にも色々あったようだが、なんと茨城県守谷市が出ていることに気がついた。ここは弟の住んでいる所である。

 どうしてこんな離れた所が出ているのか、たまたま守谷市が日本国中で特別に暑かったのであろうか、疑念もあったが、よりによって3人とも暑い所に住んでいるのだなと言って連絡したことがあった。

 また、それとは関係なく、最近、静岡県三島市楽寿園やそれに続く源兵衛川のあたりを一度訪れてみたらと思い、三島で泊まるのなら何処が良いかインターネットで調べてみたことがあった。

 ところが、明くる日、FaceBookを見ていたら、「三島に泊まるなら」という宿泊案内の項目が出てくるではないか。

 アマゾンなどで本を買うと、こんな本を買った人はこんな本もどうですか、というような広告がすぐに出てくることには慣れていたが、違う媒体でも、こちらが何かで入れた情報が、いつの間にか違った媒体にまで流れて利用されていることにびっくりさせられた。

 この情報社会ではそのようなことは当たり前と言われればそれまでだが、老人いとってはびっくりである。場合によっては便利なこともあるであろうが、何か恐ろしさを感じないではおれない。

 熱中症情報でも自分の家の近くの情報は有難いが、遠く離れた所の情報など、いくら親しい者がいるからといって、わざわざご丁寧に教えて貰う必要はない。必要があれば、こちらからアクセスすればすぐわかることである。

 三島のホテルだって、別にすぐ行くわけでもない。泊まるとしても、三島と決めているわけではない。こちらで調べるまで放っといておいて欲しいと言いたい。

 商売をする方から言えば、一度アクセスした人はとにかくその事に関心があるにだから、広告をして利用される可能性が高いに違いない。コンピュータの発達した現在、情報の収集やその処理はお手の物だから、折角の拾った情報は本人のためより、商売に生かさねばということになるのであろう。

 しかし、個人の側から言えば、要らぬお節介である。個人のプライバシーの問題などお構いなしに、何でもすぐ利用されてしまうのは便利だというより、いささか恐ろしい感じの方が強い。

 今の趨勢から見れば、このぐらいのことは当たり前で、今後はもっと高級で複雑なデータの利用が普通になっていくことであろう。人々はいつの間にかPCの網の中に閉じ込められてしまって、すべての個人情報を握られ、まかり間違えば、管理され、思うがままに動かされることにもなりかねないのではなかろうか。

どういう世界になっていくのやら、夢や希望があるにしても、何やら恐ろしい気もしてならない。