まるでこどもの喧嘩

 日本の政府は アメリカに対しては恥ずかしいぐらいに、おべっかを使い、従順なのに、韓国に対しては、どうしてこんなに上から目線で高圧的に振る舞うのであろうか。以前にも書いたが、将校に諂い、兵士には高圧的な下士官そっくりである。

 今回の徴用工問題に始まる問題も、話し合いで十分解決のつく問題であったにも関わらず、日本が半導体関連物質の輸出規制や、輸出管理のホワイト国待遇を止めるなどと経済制裁に踏み切って解決が難しくなってしまった。

 とうとう、日米韓の間の軍事的な結びつきにまで影響する問題に発展し、ますます解決が困難になって来ている。日本は軍事情報共有協定(GSOMIA)まで韓国が破棄することはないだろうと踏んでいたようだが、韓国がその破棄にまで踏み込んだことで、いささか慌てているようでもある。経過を見ていると、まるで子供の喧嘩のような感じがする。

 同じように感じる人もいると見えて、SNSを見ていたら面白いのが載っていた。

『日本:「お前の事信用出来ないから、もう友達やめるわ。DVDとか俺から借りたいときは毎回申し込み用紙に記入な?誰かに又貸しするんじゃねえぞ」

 韓国:「そこまで言うなら、もう授業のノート見せるのやめるわ」

 日本:「ちょっ。ちょっと、それ困る。そこまで言う?」と。』

 もともと、この争いは戦時中の韓国人の強制的な徴用工の賠償問題から始まっているのである。日韓間の条約で、国としての賠償問題は終了したことになっているが、韓国の最高法廷が個人の賠償権利は残っているとして、日本企業の財産の差し押さえなどをしようとしたところから発しているようである。

 日本側としては国際的に決まったものを繰り返すなと言うのが基本的な言い分であるが、日韓条約の時に個人の賠償請求権は残っているとした日本の最高裁の判断があり、それを韓国側が踏襲して個人の請求権の根拠としているのである。日本側は河野外務大臣自身も以前に個人の請求権の残っていることを認めているのだが、現時点ではそれを公式には認めず、韓国の言い分を国際的な約束の違反だとして非難しているのである。

 こういった相互の行き違いは当然あちこちで見られることであるが、当然話し合いによって解決すべき問題である。ところが、それに政治が絡み、歴史が絡むと、偏見が入り込み、歴史を無視して嫌韓の風潮を盛り上げたり、それを政治的に利用したりする勢力の画策も加わり、話し合いの解決が阻まれ、政治的、経済的な対立に発展してしまったのである。

 考えてみると詰まらないことである。どちら側も損をするだけである。隣国であるだけに、お互いに関連しあった経済はともに打撃を受けるし、両国の交流も悪化し、国民感情にも影響を与える。お互いに被害を受けるだけで、何の得るところはない。

 政府案の対立にも関わらず、両国民の間では、「反日」ではなく「反安部」であったり、日本でも「嫌韓を煽るな」との声も多いのが救いでもあるが、安倍政権を変えなければこの対立は終わらないのであろうか。両国民は共存共栄を望んでいるのである。