終戦記念日か敗戦記念日か

 政府は戦後ずっと昭和20年8月15日を終戦記念日と言い、敗戦記念日といったことは恐らく一度もない。しかし、実際には戦いに負けて、戦争が終わったのであり、敗戦記念日という方が正しい表現の仕方ではなかろうか。戦争は自然現象のようにある時終わったのではない。

 ただ、戦争中から、退却を転進、全滅を玉砕と言い換えてきた当時の政府の立場から言えば、これらの言い換えを引き継いで、敗戦を終戦としたのであろう。だからこそ、続いてやったきた占領は進駐、占領軍は進駐軍と呼ばれる事になったのである。

 このように日本では、昔から都合の悪いことは言葉を言い換えて誤魔化す癖がある。こういう言い換えは、その事実からくる衝撃を和らげ、少しでも受け容れやすくするために使われるのであるが、言い換えは実態を誤魔化し、事実の評価を謝らせてしまう危険が大きい。

 侵略戦争が破綻して負けた敗戦と、単に戦争が終わったという終戦とではずいぶん違う。負けて全て勝者の言い成りにならなければならない悲惨な状況を、国民にはあたかも戦いが終わって平和な戦前と同等の状態に戻ったかのように言葉で誤魔化そうとしたものである。

 敗戦を終戦と誤魔化したばかりに、戦争の責任も曖昧となり、極東軍事裁判は占領軍が行ったこととして忍従し、断罪された責任者を国家に貢献したとして靖国神社に祭り、ついに国としての戦争の総括をせず、責任をうやむやにしたまま済ましてしまった。

 その上、戦後はアメリカに追随して、朝鮮戦争を契機にして、戦後の復興を果たし、アジア太平洋地区にあれだけの惨禍を及ぼした戦争についてついに国としての謝罪の姿勢さえうやむやにしまい、今や政府は戦争責任には触れようともしない。

 今年の8月15日の戦没者慰霊祭でも「深い反省の上に立って・・・」と述べたのは天皇だけで、安倍首相はまるで侵略戦争がなかったかのように、7年連続で「加害」には触れていない。

 このような誤魔化しは今なお続いており、日本が日米安保条約地位協定などで、今なを完全にアメリカの支配下にある属国であるにも関わらず、あたかも同等な日米関係があるかのごとくに、自衛隊を増強し、自衛隊が独自の判断で日本を守る軍隊であるかのように宣伝し、アメリカの要求には国民の民意に反しても忠実であるなど、事実の誤魔化しが平然と続けられている。

 まだ遅くない。ここらでもう言い換えや誤魔化しは止めて、実際の国の実情を明らかにして、国民が一緒にこの状態をいかに脱し、いかに新たな展望を切り開いていくかを考える時が来ているのではなかろうか。