言論の自由の破滅

 先日名古屋で行われている「あいちトリエンナーレ」の芸術祭の一環として催された「表現の不自由展・その後」展が、脅迫や嫌がらせの電話が続き、河村市長の嫌悪する申し入れもあり、3日で中止になり、それこそ現代日本の「表現の不自由さ」があらわになったが、言論の自由はここだけにとどまらず、日本国中でエスカレートしていて、戦前の軍国主義の時代に帰ったかのごとくで、最早、末期的だと言っても良いぐらいに進んでしまっているようである。

 こんなことまで起こっているのには驚かされた。SNSでたまたま知ったのだが、「長崎県佐世保市で4日に開催された『原爆写真展』の後援依頼を市教育委員会が断っていたことが、関係者への取材で明らかになったそうである。

 同時に実施する『ヒバクシャ国際署名』活動が『政治的中立を侵す恐れがある』と判断したからだそうである。想像すれば、長崎市での原爆被害者追悼会でも、遺族や市民の強い要望にも関わらず、安倍首相が核実験禁止条約への署名を拒否していることに関係があるのかも知れないが、主催団体は『核廃絶の署名活動のどこに政治的中立の問題があるのか』と反発しているそうである。(毎日新聞8月5日付)

 唯一の被爆国である国民の大多数が、長年に亘って、二度と原爆の惨禍を繰り返さないと思うのが、共通認識として、これまで来たが、最早それにすら反対する人が増えて来たのであろうか。仮にそうであったとしても、行政がそれに関して『ヒバクシャ国際署名』活動が政治的中立に問題があるとしたのは、どこに根拠があるのであろうか。

 むしろ政治的に偏った少数の人が、核実験禁止条約加盟への署名運動を潰そうとして画策したのではないかと疑わざるを得ない。日本も遂にここまで言論の自由が抑圧される国になったのかと、戦慄を覚えざるを得ない。

 国境なき記者団が毎年発表している「報道の自由度ランキング」は、今や日本は国際的に67位だそうである。アメリカは48位、韓国は41位ということらしい。

 「大日本帝国」時代の誤りを見て来ただけに、このまま自由が失われた先には、この国はまた大きな過ちを犯して、今度は最早立ち上がれないような 破滅に陥るのではなかろうかと恐れる。

「権力者が言論の自由を持ち、表現者から言論の自由を奪う。これがファシズムだ」