下士官根性

 私が子供の頃には下士官根性という言葉が流行っていた。子供でもいつしか覚えて知っていた。まだ徴兵制度があり、すべての青年が軍隊生活を経験させられた時代だったので流行ったのであろう。

 軍隊では序列がはっきりしており、上官の命令は朕の命令であったので、不条理なことでも序列は厳格に守られ、上官の命令には絶対服従を強いられたので、その中で生きていくためには、上に対しては媚びを売ってでも取り入ろうとし、その反動として、下には辛く当たることが処世術として一般化していたのであった。

 下士官という位は、軍隊で一番多人数を占める兵隊の中では上位で、兵士をまとめる役割を担うが、あくまで兵士で、将校と言われる軍隊で中枢を占める士官とははっきり区別された存在であった。

 従って、下士官は目上の将校の命令にはどんな不当と思われる命令にも絶対服従しなければならないので、世慣れた下士官は平素から上官に取り入って懐柔しようとするが、更にに上からの命令もあり、いつもうまくいくとは限らない。その鬱憤は当然部下の兵隊に当たることによって処理されることになった。鬱憤の捌け口は下へ下へと降りていき、最後の古参兵から鬱憤のはけ口にされた新兵は、もうそれより下の捌け口がないので、近くの犬を蹴ってその代わりにしたという話も伝わったいる。

 これが下士官根性といわれるものの由来であるが、下士官根性は何も軍隊に限られるものではなく、階層的な一般社会でもどこでも広く見られる現象である。課長にペコペコ取り入って気に入られようとする係長に限って、部下の平社員にはひどく当たる人が多いのが世の倣いとも言えようか。

 しかし、同様なことがもっと大きな国家間の国際政治の場にまで広がればどうだろう。

 ごく最近のニュースを見ていると、北朝鮮のミサイル発射に対する安倍首相の態度が以前とはあまりにも変わり、全く反対のことをしているのに、ただ呆れるばかりである。つい2−3年前にはアメリカの非難の声に乗って、その復唱のように「圧力、圧力」と繰り返し、今にもミサイルが本当に飛んできそうな報道の仕方で、非常事態の宣言やその練習までさせていたのが、アメリカが北朝鮮と話し合うようになると、それに符合して圧力という言葉が消え、「やがては北朝鮮の主席とは前提なしに会う」と言いだす始末。

 今回も北朝鮮がミサイル発射を繰り返しても、アメリカが問題ないといえば日本政府も問題ないと同調するだけ。安倍首相は情報を聞いてもゴルフを止めさえしなかった。その自主性のなさ、アメリカ追随一辺倒には言葉も出ない。

 世界中から安倍首相がトランプ大統領のポチだと言われていることは周知のことであるが、将校のご機嫌をとっている下士官同様に、そのポチが他方では、自分より弱いと見たものに対しては、必要以上に高圧的に出ているのが我慢ならない。

 最近の日韓問題である。戦時中の徴用工問題が縺れて、思うような解決の道が見出されないことにしびれを切らせて、政治とは関係のない貿易問題で、韓国への輸出のホワイト国条項とかいう扱いを辞めて、韓国を困らせようとする手を打とうとしている。

 徴用工問題では二国間の協定が決まった後も、個人的な賠償請求権は残るとする判断は日本も認めており、外交的な話し合いはまだ残っているのに、思うように進まぬ政治的な決着を経済的な圧力で解決しようとする日本の態度は、まさにアメリカにいじめられている下士官が、代わりに兵隊には強く出て、虐めているような図ではなかろうか。 

 アメリカがこの日韓の矛盾にどう出るのかはこれからの問題であろうが、日本国内からもこのような政府の経済的な圧力に反対して、話し合いに持っていくよう政府への申し入れも行われているようである。

 まるで子供の喧嘩のようで、見ている国民の方が恥ずかしい気がする。韓国における対日のデモでも、新聞は反日デモと書いているが、デモの写真を見ると、どのプラカードにも「反日」ではなく「反安倍」と書かれているのが興味深かった。

 嫌韓をうたう日本の一部の扇動者より、韓国民の方がどうやらずっと冷静なように見える。この先どうなっていくのか、当分は解決しそうにないが、これが政府間だけでなく両国民の不仲につながり、日本がアジアの孤児となるきっかけにならないようにだけは願いたいものである。