帽子

 

 中年になって、もともと薄かった髪がいよいよ禿げだしたので、帽子を被ることにした。まだ子供が小学生の頃であったと思う。家族でデパートへ行った時に、中折帽を買おうと思って、色々と選んでは鏡を見てどれが似合うか見たが、どれを被っても皆が口を揃えて「似合わない」という。

 それでも私は帽子が欲しかったので、自分に一番似合いそうな黒の中折帽を買った。その時は多少不安であったが、帽子というものは、初めて被る時には誰しも似合わないものらしい。それまでの無帽のイメージと急に変わるからであろうか。それでも被っている間に次第に慣れてくるものである。被り方も自分でああでもない、こうでもないと、色々工夫しているうちに、だんだん慣れてきて、それなりに自分のスタイルが出来ていくもののようである。

 また、被り始めのうちは、つい被って出るのを忘れたり、どこかで脱いで、次に被るのを忘れて、置き忘れたりということもあるものだが、次第に帽子のある姿が普通になったきて、帽子を被っていないと何か物足らない感じがして、置き忘れるようなことも少なくなり、帽子が身についてくると言えようか。

 そうなると今度は、その時々のシチュエーションに合わせて、少し違った帽子が欲しくなり、次第に帽子の数も増えてくる。季節に合わせ、場に合わせて帽子も使い分けられるようになる。

 帽子の種類は数え切れないぐらいあるが、服装に合わせて変えることになるので、必然的に、改まった所でも被って行けるものから、少しくだけたもの、カジュアルなもの、あるいは登山や散策用、全くの普段着のようなものなど、それに冬物、夏物、などと次第に数が増えていく。

 それに被っているうちに汚れたり傷がついたりで、捨てたり、洗濯したり、買い直したりもしなければならない。ことに夏の麦わら帽やパナマ、メッシュのようなものはすぐに痛んだり破れたりするので2〜3年しか持たない。

 それと帽子は保存に場所を取るのも問題である。衣服類と違って折り畳めないものが多いので、収納場所を節約しようとしても、せいぜい重ねて置くぐらいしか方法がないので困る。季節外れのものは収納庫の棚にでも放り込んでおけば良いが、その季節のものは、一つ一つ箱に入れたままでは、出し入れに不便だし、並べれば場所を取り過ぎる。重ね置くにしても、大きさや形の違いで、そういくつも重ねられない。

 いつも帽子を被っている他の人達はどうしてられるのか気になるが、日本では男の帽子はまだ少数派なのでなかなか聞く機会がない。

 それはそうとして、帽子を被っていると、冬は確かに暖かさが違う。体温は頭から抜けていくので、帽子のあるなしで体温の喪失も大分違うであろう。また夏は帽子によって紫外線もある程度はシャットアウトされるであろうし、パナマのようなメッシュの帽子をかぶっていると帽子の中で風が通り抜けていくのを感じられ、確かに少しは涼しい気がするのものである。

 ただし、帽子を被っていると、それなりのエチケットにも気をつけなければならなくなる。日本ではそれ程うるさく言う人も少ないが、私は大きな原則としては、屋外では被っても屋内では取るようにしている。と言っても、電車の中などでは被ったままだが、エレベーターに他人と一緒に乗るような時には取るようにしている。

 昔、ヨーロッパで、エレベターに途中から女性が乗って来た時に、初めから乗っていた男性が一斉に帽子を取ったのに驚いたことがあるが、日本ではそこらは守られておらず、音楽会のホールの中で野球帽を被ったままの聴衆を見たことがあるし、テレビでも、帽子を被った姿が売り物なのかも知れないが、、帽子を被ったまま番組に出演している人も見かけるので、どうもヨーロッパの紳士道は日本では無視しても良いもののようである。

  それでもずっと帽子を被っている姿が常態となると、被っていない姿が何処かの鏡にでも映ったりすると、何かが足らないような不審さを感じるものである。

 この一文を書こうと思ったのは、つい最近たまたま駅で出会った知人の女性が、その時の私の格好を気に入ってくれたのか、その後に会った機会に、その時の帽子姿を褒めてくれたので、嬉しくなって、つい帽子のことを書いておこうと思った次第である。