サーミの血

 万博公園民族学博物館で「サーミの血」という映画を見た。民族学博物館が年に何回かやっている「みんぱくワールドシネマ」というシリーズの一環としての映画上映会であった。

 サーミ人といってもわからないが、昔ラップランドと言われていたスエーデンやノルウエイの僻地の名前は今でも覚えている。そこらに住んでいた先住民族のことで、昔はラップ人と呼ばれて蔑まれていたが、近年は彼ら自身の呼称であるサーミ人と呼ばれているということである。

 彼らは、スエーデン人とはほぼ隔離されて、山地に住み、主としてトナカイの放牧などをして生計を立てており、スエーデン人は彼らを自分たちより未開で劣った人とみなし、彼らの子供達を集めて学校を作り、スエーデン語などの教育をしたりした様である。

 日本でのアイヌ人、オーストラリアのアボジリジン、アメリカのインディアンなど、どこでも先住民たちが後から来た植民者に追い詰められていった過程で同じようなことが見られていたようである。

 映画は千九百三十年の時代設定で、そんな教育を受けていた一人の少女が部落を抜け出し、ウプサラへ出て、スエーデン人として暮らそうと、困難を乗り越えて挑む物語であるが、途中で出くわすいろいろな出来事が、当時の人種差別のいろいろな状態を示していて興味深かった。

 何処でも人のすることは似ていて面白いが、後から来た人たちは先住民族を僻地に追いやりながら、自分たちの占拠を正当づけるためには、自分たちの方が先住民よりも優秀だということを証明する必要が生じることになる。

 そのためには時の科学的知見などを総動員して、自分たちと先住民の違いを明らかにしなければならない。そのためこの映画にも出てくるが、当時の未熟な人類学的知見が総動員され、IQや人体の骨格、頭蓋の計測、脳の重量の測定などで証明しようとした試みが欧米ではしきりに行われ、強引に白人の優位性が強調されたのであった。 ただ、これがゲルマン民族の優越、ナチスユダヤ人虐殺にまでつながっていったのであり、世界を覆った人種差別の歴史を忘れてはならない。

 こういった人種偏見は日本でも同じで、公然と朝鮮人を 「チョウセン」とか「鮮人」、部落民を「よつ」と言って一段下の人々とみなしていたし、沖縄で、学校での方言の使用禁止やそれに罰則まで伴っていたのも同じである。

 この映画を見ていると人種差別についての色々なことが思い出されてきた。

 先ずは、戦後十年もたっていない頃、北海道へ行った時に、木彫りの熊を掘っていた長い髭のお爺さんと話した時のことである。お爺さん曰く「大阪は良い所だった。釜ヶ崎にいたが、何故かといって、北海道ではすぐあいつはアイヌだと指さされるが、大阪では偏見がなく、誰からも白い目で見られなかったからだ」と。

 また、丁度その頃、泊まった宿の近くで泥棒事件があって犯人が捕まったが、宿の人が「犯人はアイヌではないが、アイヌの血が4分の1入っている」と言ったのに驚かされたのだった。

 また、戦前の子供の頃のことである。当時はアメリカでも人種による骨格の比較などが盛んに行われていたようで、そこから白人が黒人より優れており、黒人は猿により近いなどと言うことが本で説明されていたことを覚えている。この続きは、戦後になっても、アメリカの医学雑誌の医学論文には、黒人との人種差を示そうとする論文が多いことが気になったものであった。

 また、アメリカの病院で仕事をしていた頃の印象で、医師は平均して白人、ナースは黒人、清掃員はプエルトリコ人といった具合に、社会的クラスと人種がパラレルになっているのが嫌な感じのしたことも忘れられない。

 今でもなお人種差別は続いている。社会の表面的には何処ででも、また誰も否定しているが、まだまだ、人の心の中の人種差別がなくなったわけではない。影に隠れて今でも色々な所で出没する。最近の日本でも韓国人などに対するヘイトスピーチなどが繰り返し、問題になっている。それでも人々の交流がより盛んになり、いつかは国境も消え、競争よりも協調が盛んになって、人種差別のようなものが次第に消えていくことを願った止まない。