名前が出てこない

 認知症でなくとも、物忘れは歳をとれば、多かれ少なかれ、誰にでも出てくるものである。中でも、一番早く出てくるのが、人の名前やその他の固有名詞ではなかろうか。

 どこかで久し振りに知人にバッタリ出会ったとしよう。懐かしそうにお互いに挨拶を交わしたが、さて誰だったかなと名前の浮かばなかった経験は誰にでもあるのではなかろうか。親しそうに挨拶してから、相手に名前を聞くのも失礼だし、相手との過去の関係や名前を探りつつ、適当に当たり触りのない話をしながら、密かに適当なところで別れられないかなあと思ったこともあるのではなかろうか。

 まだ現役の最後の頃にはこんなこともあった。その頃病院の院長をしていたが、時に厚生省の役人が視察に来ることがあった。そんな時には監督官庁なので、幹部職員一同で迎え、お互いに紹介しなければならなかった。当然こちらに並んだ職員を一人一人紹介することになるわけだが、心配だったのは、途中で自分の所の職員の名前が出てこなくなることがありはしないかということであった。部下の本人を前にして名前が言えないでは本人に申し訳ないし、こちらの立場もない。それこそ大変なので、私はいつも各自に自己紹介してもらうようにしていたことを思い出す。

 それからもう随分年月が経って、この頃のように歳をとってしまうと、もうこの固有名詞の忘却は最早かなり重症になってしまっているようである。女房と話をしていても、人や店の名前が出てこないことはしょっちゅうである。お互いの会話の中の一環なので、お互いに対象の実態はわかり、同じものをイメージしているのだが、その名前が出てこないのである。

 こういう名前の出てこない時には、決して慌ててすぐ思い出そうとしない方がよい。お互いに同じ対象を認識しておれば、あれ、それだけで、名前がわからなくても、話は通じるのである。名前は必ずと言って良いほど、時間が経ってから、何かの拍子にひょっこり出てくるものである。

 女房と二人なら、毎日のようにあれ、それで話が通じていることが多い。それでも先日のようなことがあった。家で女房と二人でテレビを見ていた時のこと。何かの番組で出演していた歌手が往年の有名な歌手に似ていたので、

私「誰だったかによく似ているね」

女房「本当ね」

私「誰だっけ」

女房「誰だったかね」

二人とも思い浮かべる人は同じなのだが、イメージははっきりしていても名前が出てこない。色々思い廻らしているうちに、ふと頭の片隅に何かおぼろげな断片が引っかかった感じがして、

「『亜』がついたんじゃなかったかな」

そのうちにしばらくして、今度は女房が

「数字の八があったのでは?、絵も描いてる人よね」

そこで思い出せた。

二人で同時に「そうだ、八代亜紀だ」とわかった。

二人がかりだったから良かったのか。この時はひょっこり手がかりをつかめて、比較的早く分かった。こんなこともあった。