津軽・下北半島の旅

 青森には何度も行っているが、その両側に伸びる津軽半島下北半島にはこれまで行ったことがなかった。たまたま先日、丁度その両方を巡るツアーの広告を見たので、それに乗っかることにした。

 始めは男鹿半島の男鹿温泉で「なまはげ」を見ることになったが、今や「なまはげ」も観光化してしまって、もう北国の伝統的な素朴な雰囲気は失われ、受け継いだ装束で太鼓を叩くショウになってしまっていて少し失望させられた。

 それより私の男鹿半島に寄せる関心は、昔は琵琶湖に次いで大きな湖であった八郎潟が、戦後の食糧増産のために埋め立てられて、その後どうなっているのかであった。埋立地は今では広大な平野となり、まるで北海道のように広々とした大地に真っ直ぐな道がどこまでも続いているといった感じになっていた。その道路に沿って菜の花がこれもどこまでも黄色い花を咲かせていたのが印象的であった。

 そこから津軽半島日本海沿いに北上し、途中、白神山地のブナ林や十二湖などを少し覗いてから、突端の竜飛岬まで行った。そこで北海道を眺め、津軽海峡冬景色の碑や、書類だけで決められたが実際には階段であったという国道の一部などを見、青森まで引き返して、近くで一泊した。

 翌日は、今度は下北半島を北上、まさかり形の半島の鎌の部分にある本州最北端の大間岬まで行き、ここでは函館方面の北海道を眺め、次いでは船で西海岸の仏ヶ浦を訪れ、五百羅漢その他の名前のついた巨大な凝灰岩の岩山が林立している間を散策し、船で引き返した後、今度は山道を登って、三大霊場と言われる恐山菩提寺に達し、三途の川を渡って、硫黄山の賽の河原などの地獄巡りをして、湖畔の極楽浜に出た。

 気候が良かったのであまり感じなかったが、冬の厳しい季節にでもこの地を訪れれば、昔の人たちが厳しい雪混じりの寒風に吹かれながら、この世のとも思われない荒涼とした硫黄の匂いのする殺伐とした風景に、地獄のような異世界を感じながら、亡くなった身近な人の供養をしていた心情がもっと感じられたのであろう。そして、心からの供養をした後で、宇曽利山湖の湖畔に来て、その美しさに思わず極楽を感じたのかも知れないと思われた。

 その日は強行軍で、その後、下北半島の付け根まで引き返し、八の戸市の近くのリゾートホテルに泊まった。そしてその翌日は、三陸鉄道にも乗り東日本大震災津波による被害の跡などを見ながら、三陸海岸宮古まで南下し、浄土ヶ浜を見物してから、内陸の盛岡近くまで辿り着き、山の中の温泉で最後の旅の夜を過ごした。

 浄土ヶ浜は仏ヶ浦を小規模にしたような、同じ火山由来の白い岩肌の岩が海岸から突き出した山脈のように突き出しており、その美しさに「極楽浄土のようだ」と感嘆したところから名づけられた由で、夏にはこの美しい景色の中で海水浴も出来るそうである。

 こうしてツアーのお蔭で、忽ちの内に、男鹿、津軽、下北の三半島を見て回ることが出来たが、個人的に行くのと違い、効率は良いが、ゆっくり落ち着いてその地の様子を見学し、その雰囲気に浸れるゆとりがなかったのが残念である。どうしてもツアーでは表面的な印象しか残らず、東日本大震災の復興や、六ケ所村の核廃棄物質の再処理施設の問題などについても、折角の機会なので、もう少し考える機会に出来たら良かったのにと思った。