外国人労働者を大事にしよう

 この四月から外国人受け入れの法律が変わって、今後大勢の外国人労働者を受け入れることになったようである。政府はあくまで移民には反対のようで、今までは技能実習生などという名前と実質が一致しない、言わば闇の形で外国人労働者を受け入れてきたが、人手不足が深刻で、企業側からの要望に押されて、実質的な移民政策に移行せざるを得なかったようである。

 しかし要望はあくまで単純労働の人出不足を補うための低賃金労働者募集であり、労働力の移入が目的で、移民を進めようとしているのではないところに大きな問題がある。労働力を人間から切り離すわけにはいかない。法律が変わっても本質は変わらないようである。

 移民にはヨーロッパなどでも色々な問題を伴って来たが、そうかと言って、労働者を受け入れる以上は、単に労働力の移入でなく、外国の人間を受け入れること、即ち、移民を真剣に考えなければならない。

 当然これまでのように、日本での最低賃金以下のような報酬での単純労働の労働力としてしか見ないような受け入れ態勢では、今後は必ずやいろいろな問題を起こすこととなり、日本への渡航の希望者が減ってしまうことになりかねない。

 これまでと違い、アジアの経済発展が目覚ましく、生活も安定してきているので、日本との賃金格差も減少しつつあり、経済発展の著しい中国が一人っ子政策少子化が進み、労働力の不足が顕在化してくれば、労働力の奪い合いが起こってくることが予想される。

 過日の新聞では、ドイツでも高齢化が進み、介護職員の不足を補うのに東欧諸国からの供給では足らず、ベトナムなど東アジアからも募集していることが載っていた。

 当然、条件の良い国に応募者は集まるであろうから、質の良い労働力を求めるなら、他国に勝る条件を提示出来なければ、思うように人材が集まらないことにもなりかねない。

 この国の将来を考えれば、ここで発想を変えて、単に一時的な労働力の確保ではなくて、いつかこのブログにも書いたように、この際、この機会を捉えて「新弥生時代」ともいうべき新しい人々の移民を進め、この国に大勢の新らしい日本人を育生して、共生していくことを考えるべきではなかろうか。

 もともと島国で同調しやすい「和」を尊ぶ単一民族と言われがちな日本の国民が今後発展していくためには、ここらで再び多くの異質な人間や文化を取り入れて、多様性を増すことが必要なのではなかろうか。

 地球上での交通が便利になり、経済的にもすべての国の交流が盛んになる時代には、もはや単一な大和民族の伝統や、ナチスゲルマン民族の優越などという、単一民族的思考の結果は最後はガラパコスに繋がるだけではなかろうか。運動競技の分野で混血の日本人が世界的な選手として活躍していることも参考になるであろう。

 多様な人々の集まりによる、多様な思考、多様な試みがあってこそ、これまで人類は生き延び、栄えて来たのであり、今後の世界の中では、多様な人々の多様な考えによってこそ、多様な将来の希望も、発展も望まれるのではなかろうか。

 そういうことを考えれば、人口減少のこの機会に大いに移民を受け入れ、この国の人々の多様性を進め、新たな活力をつける絶好のチャンスであり、それこそがこの国の将来の発展に繋がる道ではなかろうか。

 そのためにはこの国にやってくる外国人を、単に人手不足を補う労働力と見做すのでなく、仲間の人間として大切にもてなし、同じこの国に住む人間として、共に生きて行く工夫をすべきであろう。

   最近の朝日新聞のオピニオン&フォーラム欄に『「移民」の夢育めますか』という見出しで、二十数年前に三重県の自動車部品工場へ出稼ぎに来た両親の元に来日し、苦労しながら勉学して現在は大学の講師や大学院卒の会社員、大学院博士課程という3兄弟の話が出ていた。移民の中からもこうした優れた日本人が大勢育っていくような体制を移民政策に取り込むことが必要だと考える。