白鵬の三本締め問題

 今年の春場所で優勝した横綱白鵬が表彰式のインタビューで観客へのサーヴィスとして三本締めをしたことが相撲協会で問題視され、宮城野親方とともに譴責処分にされた。

 協会の判断は三本締めは表彰式が終わってからの神事の最後に行うもので、横綱が勝手に行うものではない。相撲道の伝統的秩序をを損なうもので横綱の品格にかかわるということらしい。

 白鵬にしてみればファンサービスとして相撲を盛り上げようとしてしたことで、その時の観客の反応も決して悪くなかったようである。以前に日馬富士貴ノ岩への暴行事件があった後の優勝インタビューの時には、万歳三唱をして「今後とも相撲をよろしく」と観客に挨拶して問題となったが、白鵬は万歳が良くなかったようなので、三本締めなら良いであろうと思ったのだそうである。

 万歳にしても三本締めにしても、式の途中のインタビューの時にしたのがよくないらしいが、以前は式の前に支度部屋でしていたインタビューを式の途中に変えたのは相撲協会であるし、相撲にまつわる複雑な神事事項は、日本の力士でも完全な理解は困難だろう。

 横綱の品位に関わるというが、ただ形式的に仕来たり通りに踏襲している段には良いが、前人未到の大横綱としては、新たな道を切り開こうとするのも当然であろう。ファンに対するサービス精神はどんなスポーツにしても大切である。私も決して非難されるべき行為だとは思わない。神事を詳しく教えるべきなのであろう。

 しかし、問題の本質は相撲協会が、相撲の神事や興行との関係を曖昧にしたまま、いつまでも旧態依然とした部屋制度を維持してきている点にあろう。親方制度には古くからの伝統による権利や、それに伴う金銭が絡んでいて、一向に改まる気配はない。競技と神事と興行が結びついた前近代的な相撲と、スポーツとしての相撲の矛盾をどうか解決していくかが、今後も相撲が生き残れるかどうかの分岐点になるのではなかろうか。

 その特殊な構造の相撲が、興行の必要から外国勢に頼らざるを得なくなってきたところが、色々の問題が出てくる根源である。日本人ですら最早どれだけの人が相撲の神事を理解しているか問題なのに、スポーツ選手として入門した外国力士に相撲の神事を理解させ、信じさせるのは無理であろう。

 白鵬が親方になるためには日本国籍をとる必要があるという。日本の力士を育てるには親方は日本人でなければならないと相撲協会は言うが、これだけモンゴル力士に頼っているのであれば、親方の国籍を問題にするのはおかしいであろう。                    

 相撲界はこれまでにも、しばしば色々な問題を起こしては世間を騒がせて来たが、もういい加減に時代遅れの組織を根本的に変えて出直さなければ、将来の繁栄は望めないのではなかろうか。相撲界の改革を目指した貴乃花も結局相撲界から締め出された。

 モンゴルから来日して立派に相撲を盛り上げてくれた横綱を偏見なく受け入れて、日本人の横綱同様に大切に出来ないようでは、日本の相撲自体の将来が危ぶまれることになるであろう。 白鵬の譴責問題でまたもや相撲界の旧態依然とした体質を思いださされてしまった。