国威発揚のためのオリンピックはやめよう。

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   いよいよオリンピックまで四百何日とかで、そのスケジュールも決まったようで、テレビは今やオリンピックの話の出ない日はない。今年の夏にはオリンピックの時の交通渋滞を見越した交通制限の予行演習までするようである。

 この写真はいつだったか、1年ぐらい前のテレビでのオリンピック開催についての解説場面である。政府の見解と一致しているのかどうか知らないが、このような5項目が挙げられていた。驚いたことに、第一が国威発揚とある。これはナチスヒトラーが、これを取り上げてベルリン大会を大々的に宣伝し、盛り上げたやり方で、戦後、反省されて、オリンピック憲章などでは禁止されているものである。

 憲章によれば、オリンピックはあくまでも運動競技であり、アスリート・ファーストで、国家間の競争ではないというのが基本的な立場とされている。にも関わらず、我が国の政府の対応はこの図に掲げられたもののようである。

 国威発揚の他、これを使って経済活性化をしよう。都市開発にも利用しよう。そうして少子高齢化、人口減少で停滞気味の経済に喝を入れ、米国覇権の停滞や、中国の台頭などの世界情勢の中で、日本の国際的な存在感を高めることにもオリンピックを利用しようというのが日本政府の思惑のようである。

 そのために政府は、誘致の最初の段階から、東日本大震災原発爆発による放射性物質の拡散などの影響は完全にコントロールされているとか、以前にもまして過酷になって来ている夏の7月末の会期を「競技に最も良い時期だ」とあからさまな嘘まで言い、こっそり五輪開催関係者に多額な賄賂まで払って、誘致しているのである。

 JOCの竹田会長がフランス政府にオリンピック誘致のための贈賄容疑で告発され、とうとう会長を辞任しなければならなくなっていることを見ても、かなり無理をして誘致したことを告白しているようなものである。

   今や、オリンピックのためといえば、何でも通るような風潮である。競技場をはじめとして、東京は建設ラッシュで、建設費をはじめとする準備の費用も予算を超えて湯水のようの使われ、会計検査院などでも問題になっている如くである。

  7月末の最も暑い季節を最適な季節と言ったばかりに、酷暑の中のマラソンなど野外でないと出来ない競技をどうするかが問題だが、季節を変えるわけにはいかないので、朝のまだ多少とも涼しい間にしなければ仕方がない。マラソンの出発時間は午前6時と決まったようだが、朝の競技の開始時間を早めるだけでは足りず、それに合わせてサマータイムの復活まで言いだされていた。

 流石に社会全体の時間まで変えるには問題も多く、サマータイム復活は取り止めになったようだが、実際に去年の夏のように熱帯夜が続き、連日40度にも及ぶ酷暑になったらどうするのであろうか心配になる。

  まだ来年のことなのに、テレビなどで見ていたら、まるで今年のことにしか思えない程の騒ぎ様である。スポーツの世界など、今やすべてがオリンピックのために動いているような気配さえする。 

 有望選手が白血病になって入院することがわかると、当人の病気を心配するより、オリンピックの試合が大変だと担当大臣が騒ぐ始末であった。体育の日も、スポーツの日に変えられるとも言われている。体育なら誰に取っても関係があるが、スポーツとなると、全くやらない人もいるし、関心のない人のいることも忘れないで欲しい。

 以前のオリンピックの選手であった有森裕子さんも「オリンピックに関係なく生きている人の方が山ほどいる。その人たちあってのオリンピック。その人たちの感覚を無視してはいけない。アスリートファーストという言葉もない方がいい。社会ファーストでしょ」と言っている。

 オリンピックはあくまでも、本来の姿に戻って、個人の選手の競い合いであり、国がそれを国威発揚や経済発展などのために利用するのは止めて欲しいものである。あくまでも、個々の優れた能力を持った選手たちが技を競うの祭典で、それを周りの人たちが支え、競技を楽しむ本来の姿でやって欲しいものである。

 オリンピックのために、関心のない人まで、無理やり協力させられたり、社会生活の変更を強いられたりすることないようにすべきである。日本人なら五輪に協力して当然。何しろ国民的行事なのだから」という無言の「圧力」が日に日に強まってくるのを感じる。日本社会に根強い同調圧力が一層強まりそうである。

「オリンピック、オリンピック」という政府指導の大きな声にすべてがかき消されてしまわんばかりであるが、オリンピックよりはるかに大事なことがあることにも注意をしてもらいたいものである。

  オリンピックはあくまでスポーツ選手の競う機会であり、それを応援する人たちが熱狂するのは良いが、決して国威発揚の場ではなく、スポーツにあまり関心のない国民の多いことも忘れないで欲しい。