老人は忙しい

 若い時には、歳をとって仕事を辞めたら時間が充分あるので、大河のそばに寝そべって、時の経つのを忘れて、川の流れを一日中でもゆっくりと眺めているといった、身も心も悠々とゆとりのある、ゆったりとした時間が過ごせるのではないかと夢見ていたが、九十を超えても、そんなゆっくりとした時間は巡ってこないものである。

 もうほとんど仕事はしていないが、最近の私の1日の過ごし方を述べれば、このようなものになる。歳をとって、早寝早起きが益々昂じて、近頃は3時半に目が覚める。先ずはベッドの中でテレビをつける。この時間のテレビは案外面白い番組をやっている。どこかの都会の案内だとか、どこかの古い町の紹介、どこかの祭り、どこかの地場産業についてなど、色々と興味深いものを見せてくれる。そんなテレビを見ながらゆっくりと起きる。

 起き上がればすぐに書斎へ行って、パソコンの電源を入れて立ち上げる。立ち上がるのを待つ間に、洗面所で入れ歯を入れたり、顔を洗ったり、暖房を入れたりする。パソコンは先ずはメールを見て、次いでツイッターフェイスブックと目を通すことにしているが、これに随分時間を取られる。

 メールは出来るだけ必要以外のものはそのまま消すようにしているのだが、中に必要なものや、個人的な連絡などが混じっているので、一応全てに目を通さななければならない。医学情報や一般ニュースなどで見たいものも出てくるので、それらを開いて読んだりしていると、たちまち時間が経ってしまって、ツイッターフェースブックなどに行っている間に、気が付いたらもう5時になっている。

 年寄りで動作が遅いためもあるのだろうが、毎日のことで皆はどうしているのだろうかと気になる。私など仕事がないから時間を取られても良いようなものだけれど、仕事で忙しい人などはどう処理しているのだろうか。最近は電車の中でも、皆スマホを見ているが、忙しい人は電車の中でチェックを済ませているのであろうか。

 時代が悪いのだろうか。確かに今はインターネットなどが必須の時代となり、娘や孫たちとの連絡もパソコンやスマホでするし、医学的な情報もネットから得る割合が多くなったし、何処かへ出かける時も、何かを調べる時も、本を買う時も、皆インターネットのお世話になるので、見ないわけにはいかないが、それにかける時間がバカにならなくなってしまっている。

 5時になると、朝刊が来るのでそれを取り、新聞を見ながら朝飯を済ませ、トイレにも持ち込んで論説や文芸など読みたいページを破る。その後、およそ5時45分ぐらいからは、テレビを見ながら、腕立て伏せ25回に始まる自分なりの運動セットをこなし、6時25分からのラジオ体操につなぐことになる。およそ45分の運動時間である。体操が終われば、次は切り取った新聞の読みたいページを読む。その日によって違うが、凡そ7時半頃まではかかる。

 その後はまた書斎に引き返し、インターネットで残りのSNSを読んだり、ブログを書いたりしていると、忽ちもう9時になる。そこで一服してお茶を飲むことになるが、ここまでは毎日の朝の決まった手順のように済ますことになる。

 一服してからは、決まっているわけではないが、眠気があれば、30分ぐらいナップをとることが多い。そこから起きると、昼食の11時か11時半ぐらいまでの間は、またインターネットに戻ったり、写真のリタッチをパソコンでしたり、自画像を描いたり、本を読んだりといろいろのことをすることになる。しかし何をするにしてもすぐ昼食の時間になってしまう。

 そして午後はその日によって違うが、大抵は予定に従って、写真や絵の集まりが月に3回、医者の仕事が2〜3回、医師会などの講演会などが2〜3回、その他、たまには人と会ったり、画廊や美術館巡り、映画や音楽会、どこかの見学とか歩きに行くとかで、予定のある日が多い。出来るだけ歩くように心掛けているので、1日で7〜8千歩、多い時は1万4〜5千歩といったところになる。

 午後の予定は出来るだけ早く切り上げて帰宅するようにし、5時か6時には軽くアルコールを嗜んで夕食、入浴なども済ませて、少し本などを読んだりするが、たちまち7時のニュースの時間になる。それが済むと、朝の起床時間を考えればもう寝なければならない。

 その頃にはもう自然と体がだるく、眠くなってくるのである。8時頃には就寝ということになる。これがおおよその1日のスケジュールということである。一日中忙しくてなかなかゆっくりしている暇がない。

 あっという間に一日が経ってしまい、昨日のことかと思えば、もう一昨日のことになり、時は若い頃よりも加速度がついたように早く過ぎ去ってしまう。こんなにゆっくりしている暇もないように日が経っていき、このまま人生を終わってしまうのであろうかとふと思う。もう開き直っているので、このままでも良いが、ボケて自分がわからなくならないようにだけはして続けられればと思っている。