針中野

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 大阪の東住吉区針中野というところがある。近鉄にも針中野という駅があるので大阪の、殊にに南部に住んでいる人ならおそらく誰でも知っている地名ではなかろうか。

 私も若い頃に天王寺に住んでいたことがあるので、針中野という地名や場所はよく知っていたが、その名の由来などについては考えたこともなかった。

 ところが桜が見頃になった先日、同じ区内にある老人施設にいる姉を見舞い、女房と甥と三人で車椅子で連れ出し、花見旁々周辺を散歩した帰り道に、甥が案内してくれて、大きな旧家で、鍼で有名な中野家を教えてくれた。中野の中野家だし、家の大きさだけから想像しても土地の旧家で主人格であったことが窺われる。

 この中野家の歴史は古く、平安時代弘法大師の時代から続く有名な鍼師の家だそうで、中野の小児鍼として有名で、遠方から来る人も多く、そのための宿泊設備や、3階建の塔屋まであったようである。近くの道端には「でんしゃみち」「はりへ」と書かれた道標も残っている。

 この中野家は今の近鉄、当時の大阪鉄道が敷かれる時に協力し、そのために駅名を針中野とつけたのだそうで、それが針中野の地名の始まりなのだそうである。鍼の字では難しいので針にした由である。

 家に帰ってから、インターネットで調べてみると、色々出ているものである。中野家のあたりは昔環濠集落があったようで、延暦(782~805年)時代に弘法大師が布教の途次、ここに泊まり、遂穴偶像の木像と金針を授けられたのが始まりで、以来、代々受け継いで鍼治療を続け、中野降天鍼療院(ナカノアマクダルハリヤ)として鍼灸師の聖地とされてきたらしく、殊に小児鍼が有名で、江戸古地図にも中野村小児鍼として乗っているそうである。

 これまで考えたこともなく、単なる地名と思っていたが、その由来を聞き、それにまつわる事物を知ると、急に懐かしさが倍増し、人にも教えたい気持ちになる。

 たまたま亭主が針中野出身だという女性がいたので聞いてみたら、尋ねてみたが、そこで育っているのに、中野鍼や針中野の由来については何もは知らなかったという返事であった。

 平素何げなく当たり前のように使っている地名などでもその由来などを知ると楽しいものである。

 

 

 

が布教の途次ここに泊まり、