令和余聞

 今度の年号が「令和」に決まったことについて、色々な人が色々なことを言っているので、忘れないうちに少しだけ書いておこう。

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 先ずは、この写真は菅官房長官が年号を初めて発表した時の写真であるが、初めて見た時から気になって仕方がないのは、「令」の字の最後の縦線の終わりを跳ねていることである。

 漢字の描き方には色々あり、「令」の字など下を「マ」と書くことも多く、それも間違いではないが、5画目の縦線の下を跳ねる日本語の書き方は見たことがないない。4画目のカギ状の終わりを跳ねて、5画目の最後もまた跳ねることはないのではなかろうか。

 一頃、小学校などでの 漢字の教育で、縦線の終わりを跳ねるか跳ねないかなど、細かいことがうるさく言われたこともあったが、今は寛容になり、跳ねても跳ねなくても、どちらでも良いことになっているようである。どんな漢字についても皆が読めればそれでよく、細かいことは言わないことになっているらしい。

 従って、「令」の字についても、どうでも良いのかも知れないが、4画目、5画目の両方を跳ねているのは普通には見たことがない。正しく読めるので、間違いと言う必要はないだろうが、両方とも下で跳ねられていると、見た目にも格好が悪い。

 菅氏の示した文字は、最初にこう決まったという見本であるから、間違いではないにしても、同じ見せるなら、美しい文字を示して欲しかった。誰が書いたのかは知らないが、少しでも漢字の素養のある人なら、最後の下線を跳ねることはありえないと思うがどうだろう。

 5画目の縦線は止めて終わりにするか、下へ引き伸ばして細く引き上げて終わるのが普通であろう。

 

 二番目には「令和」と聞いた人々の反応である。「令」と言えば、先ず命令の令を思い浮かべる人が多いだろうから、安倍首相のことだから「命令に和して大人しく従え」と言うことかと感じた人が多かったのではなかろうか。「政令和従」と言う人もいた。

 外国でも似たような反応が多かったと見えて、外務省は外国向けに、わざわざ「令」には令嬢などと言うように美しいと言う意味もあり、「令和」は”beautiful harmony"を意味するのだと発表したようである。

 外国といえば、中国では「令」と「零」は発音が同じだそうで、「令和」は「零和」に通じ、「平和がゼロ」「混乱が続く」という意味にもなるそうである。また台湾では、「令和」がやはり発音で「零核」と似ており、現地で問題となっている核廃絶運動の言葉になるとか言われているそうである。

 

 三番目には、安倍首相がこだわった脱中国で国書由来の年号にすることについての話である。始めに絞り込まれた候補の言葉には「令和」はなかったが、安倍首相の国書由来の要望で入れられたのだそうで、これが本命として押されたとか、真偽のほどは不明だが、言われている。

 しかし、それについては、またうがった面白いことを言う人がいるようである。万葉集から取ったと言うが、歌はみな万葉仮名で書かれているので、そこからの漢字を拾うわけにはいかないが、序文の部分が漢文で書かれているので、そこから拾ったわけだが、折角拾った序文は中国の古典である張衡の「帰田賦」から引用したもので、初めての国書由来の年号と言うが、元はやはり中国由来のものであった訳である。

 しかも、「帰田賦」と言うのは張衡が政府に仕えていたが、その悪政に愛想をつかして、田舎へ帰る時に作ったものであり、さらにその仕えていた皇帝の名が「安帝」といったそうである。

「令和」を考えた学者が、この中国での謂われを知らないはずはないので、国書由来にこだわった首相が学者にまんまと乗せられたと、うがったことを言う人がいたのも面白かった。

  この年号決定の直前に外務省が公文書に年号を使わないことにしたと発表して、反対にあって取り消したようだが、今更国民主権の国で年号を使う必要はないのではなかろうか。

 私も最近は西暦しか使わない年号廃止論者なので、強制されるのでなければ、どんな年号であろうと構わないが、政府がどのようなことを目論み、結果としてどのような年号になるのかについては、野次馬的興味で成り行きを見ていた次第である。

追記:

 令和の年号については、その後も色々な話があるが、朝日新聞の歌壇には、やはりと言って良いような

 ”命令を承って温和しくしてろと言っているのか「令和」”

というのが載っていたし、外務省の説明の”beautiful harmony”については

「赤信号皆で渡れば怖くない」ということだなという説明をする人がいた。